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「教材研究」とは
昨日,あるツイートでいつもより「いいね」が多くついた。
授業に使うワークシートやスライド作りを教材研究とは言わない。
— 𠮷水 慶太 Keita Yoshimizu 英語教育 🇳🇿 (@KeitaYoshimizu) September 25, 2021
共感もあれば反発もあると思うけど,ただのツイートだからどうでもいい。
しかし,ワークシートやスライドを作ること自体が大切なのではないという話。
それは誰のため?
ワークシートやスライドを誰のために作っているのか。
教育実習期間に実習生と直に話す機会が多かった。
その中で肌で感じていたことを素直に書いてみる。
#実際に
#本人たちには
#伝えた
「それは指導者のための準備だよね」
ワークシートに問題が並んでいる。
生徒は黙々と取り組む。
全体で解答を確認する。
これがひとつの流れだった。
(そもそもこれは授業とは言い難いけど,過去にこのような授業を受けてきている人ばかりだから仕方がない)
しかし,問題を解くだけなら自宅でできる。
全問正解の生徒にとっては解説も必要ない。
学校では学校でしかできないことを優先したい。
生徒に知っておいてほしいことを指導者がまとめただけのシートでは意味がない。
それなら教科書の方が何倍も素晴らしい。
#何人もの
#有識者たちが
#関わっている
それではスライドはどうか。
スライドを使うことで授業者が授業の流れを確認したり,話すことを思い出すという場面がいくつかあった。
つまり,これも指導者のための準備だ。
僕はこれらを「教材研究」とは言わないと思う。
あくまでも「授業準備」だ。
文面だけを切り取ってああだこうだ言う人がいるけど,もちろん「授業準備」も大切だ。
しかし,それらの研究や準備が生徒の深い学びに繋がるようにしなくてはならない。
#揺れる発問
#とかね
𠮷水