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はじめに 最終章

こんにちは。
㈱ヒューマンリソースマネジメント研究所
なつカウンセリングルーム 代表
土肥なつみです。

自分語りは今回で最後にします!笑
今回は創業・会社設立に至るまでのストーリーを相当端折りながら書いていきます(急に雑。笑)


フリーランスの世界へ

弁論大会で優勝した私は、上部団体の色々な集まりで「優勝弁論」としてお披露目の機会を頂いた。
フードサービス部会の定期大会では浅草にあるホテルの宴会場。300人の前でスピーチ、
そして全体の定期大会の会場はパシフィコ横浜の大ホール。

収容人数3000人のホールの舞台で私はスピーチを披露した。
単組(自分の会社の労働組合)の定期大会では、自社の組合役員が100名ほど参加。
演台に立つとちょうど目の前に来賓の社長が座っていて、私は社長とその横にいる営業本部長の顔からひと時も目を離さず6分間話した。
社長と営業本部長は終始ぶすっとした顔で一度もこちらを見てくれなかったけど。
それでも、郊外のイチ契約社員の私がいつか夢見た「みんなに話を聞いてもらう」を5年かけてやっと実現することができた。

今後は社外の人たちに向けてもこういう話をしていきたい、ということで
組合役員退任後は講師になりたいと思うようになった。
しかしどうやって?
ネットで「講師 なり方」とか調べても全然出てこない。(笑)

そんなことを考えていたある時、組合役員向けの研修を受けていると登壇した外部講師の方がポロっと
「あ、僕は産業カウンセラーの資格を持ってるんですけどね」
と言ったのを私は聞き逃さなかった。

産業カウンセラーを取れば講師になれる!
すぐに協会のHPを見に行き、養成講座の申込みボタンを押した。

産業カウンセラーは想像してた100倍は大変で、実習だけで104時間、理論学習も40時間以上、逐語記録作成、加えて毎回課題学習が出た。
試験もほんと難しくて分からなさ過ぎて試験中に泣いちゃったけど(笑)、1年かけて産業カウンセラーの資格を取ることができた。

しかし一向に講師になれる気配はない。
そもそもあの時講師をやってくれたあの人はどうやってなれたんだ?(講師エージェントという言葉を当時は知らなかった笑)

色んな異業種交流会にも行ったし、誘われた集まりにはほぼ参加した。
どうやったら講師になれるんだろう?

“その時”は突然やってきた。
過去に異業種交流会で名刺交換をした方から突然メッセージが来た。

「なっちゃん、ハラスメント研修の講師できる?」

二つ返事でお受けして、詳細を聞くために近くのカフェで打ち合わせをした。
なんと研修先は自治体。初めての舞台にしてはあまりにも大きすぎる。
でも考えている暇はない。やると決めたらやる。
慌てて開業届を出した。
当時の屋号は「DSコンサルティング事務所(=現:なつカウンセリングルーム)」。名前に特に意味はない。笑

初めての研修も無事に終えて、それからありがたいことにちょこちょこと研修の依頼をいただくようになった。
他にも合同企業説明会でキャリアカウンセラーをしたり女性支援のお仕事、カウンセラー協会内での仕事など順調に忙しくなってきた。
契約社員として働いていた飲食店はアルバイト契約に戻してもらって、
平日はフリーランスとして研修やカウンセリング、土日は飲食店でスタッフ教育の二足わらじ。
飲食店での経験が研修の良い事例になったり、講師で培った指導力が現場の教育に活かせたりと、毎日が本当に充実していた。

創業して3年目に差し掛かった頃、コロナがやってきた。

リセットボタンが押された日

コロナが日本に広まってからはあっという間だった。
「ごめん、明日の出勤、やっぱナシで…」
「先生すみません、今度の研修の件ですが、一度中止という形で…」
2020年3月、私のスケジュール帳は真っ白になった。

研修やカウンセリングの仕事は全て白紙になり、
飲食店のシフトもかなり削られ、
出勤したところでお客さんがいない。

マスクも品切れ。友達にも会えないし実家にも帰れない。
みんなストレスたまってたと思う。
飲食店では突然シフトを減らされて生活出来なくなってしまったフリーターの方からの相談や、パートさん同士の労働時間の取り合い、休業手当を巡って上司との確執、
「辞めたいなら辞めてもらって結構。」
と言い出すマネジャーもいた。
私も、この混乱の中で別の店に異動しなければならなくなった。

あの充実していた日々は一瞬にして終わってしまった。
精神的に相当参ってしまった。

ある時、家に帰ると大量の荷物が届いていた。
母から、トイレットペーパーや手作りおかず、消毒液
カウンセラー仲間からも大量のマスクと差し入れのワインが数本入っていた。

みんな、自分のマスクだって入手できないのに
何で人にあげることができるんだろう?
私は自分のことばかりで人に何もできてない。
本当に申し訳ない。情けない。

数か月我慢していたものが一気に押し寄せてきて、その日は一晩中泣いた。
みんな本当にありがとう。
「困っている時こそ、誰かの為に行動できる人に私もなろう」

2020年5月、世の中がいよいよリアルを諦めてオンラインにシフトし出した頃、私の周りでオンラインに対応し切れず困っている人が現れるようになった。
特に対面のコミュニケーションを大切にするカウンセラー界隈では、結構な人たちが苦戦していた。
私はコロナ前からZoomやサイボウズを日常的に使っていたので、とにかくその人たちのためにZoomの使い方をレクチャーしたり、セミナーをサポートするだけでなく、あらゆる雑務を請け負って、めんどくさそうなことは一通り何でもやった。
これが何にならなくてもいい。どうせ私にはもう何もないんだから。

そして法人設立へ

「土肥さん、電話相談の仕事って興味ない?」

カウンセラーの先輩とオンラインミーティングを終え、切り際に“その時”はやってきた。
コロナで失職してしまった人や、職場で悩んでいる人、コロナ禍の制限の中就職活動を頑張っている人などに向けて電話相談窓口が開設されるので、そのカウンセラーの仕事をしてみないかとのことだった。

電話相談は未経験。でも悩んでいる暇は一秒もない。
先輩にエントリーシートを送っていただいた30分後には応募を完了させた。

ありがたいことにすぐにお仕事が決まったものの、相談者さんからの相談にロクな受け答えができない。
産業カウンセラーの資格だけでは厳しく、国家資格である「キャリアコンサルタント」の知識が求められる仕事だった。
私以外に8人のカウンセラーが在籍していたけど、無資格者は私だけ。
これは勉強するしか。
2回目の勤務が終わった帰り、キャリアコンサルタントの養成講習を申込み、1カ月後には実務と養成講習の両立が始まった。
火・木・金は実務、水曜日は養成講習、土日は飲食店。

そうして半年ちょっとかかってキャリアコンサルタントの資格を取得。
実務と合わせると相当相談対応能力が鍛えられた経験だった。

コロナの収束とともに電話相談の事業も終わりに差し掛かってきたころ、以前仕事でお世話になった方から
「今度飲食店をオープンさせるんだけど、その研修とか人材育成とかってお願いできるのかな?」

という依頼を頂いた。
仕事内容としては就業規則の作成支援やスタッフマニュアル作成、従業員相談対応窓口など今までの活動や資格がフルに活かせるものだった。そして自分の大好きな業界の飲食店。

開店前研修の時の写真

そのご依頼をきっかけに、2022年11月7日、
・研修事業
・カウンセリング事業
・人材育成に関するコンサルティング事業
の3本柱で新たに法人
「(株)ヒューマンリソースマネジメント研究所」を設立し、再出発することに。

ありがたいことにコロナの収束とともにリアル研修のご依頼も戻ってきまして、登壇させていただいたり対面でカウンセリングさせていただいたり、
「以前のようで、以前とは違う」スタイルで充実した日々が戻りました。

ちなみにこんなに長ったらしい名前になってしまったのは、
名刺を渡した時に「何をやっている会社かすぐ分かるように」が最優先事項だったため、
あらゆる人材コンサルティング会社の名前を切って貼って繋げたらこんなことになりました。笑
それ以外は特にこだわりがなかったので、ファミレスで1時間で決めました。
名前長すぎて後悔してるのでもしかしたら変えるかもしれません。笑

ただし、理念は変わりません。
「人生を彩る居場所をつくる」

あの日ホームレスだった私に、店長や先輩たちが居場所をくれたように
今度は私が、研修やコンサルティングを通じて日本中の職場が居場所になるように、精一杯サポートしていきます。

これが、私のキャリアストーリーです。もちろんこれからも続いていきますが、
ここまで読んで下さって本当に本当にありがとうございました。

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