なにかに耐えられなくなった人に伝えたいこと
けさ、親友のナナからやっとLINEが返ってきた。ここ2週間ほどなぜか連絡がつかなかった。
「おじいちゃんが体調崩して…闇期入ってた」
文末にたくさんの絵文字。泣いた顔、ごめんねと合わせた手、土下座したひと。
彼女が就活に失敗してよからぬことを考えているのではないかと、ひやひやしていたわたしはすこしほっとして息をついた。と同時に、彼女がいまいる状況をわたしは知っていると気づいた。
いつも当たり前のように近くにいる人が健康を損なって、ぐらぐらと家族全体が揺れ動く、この感じ。わたしの頭にあったのは入退院を繰り返していた母だった。
母はわたしが小さい頃から心不全だった。肺を摘出したことでふつうの人の1/3ほどの大きさの肺で呼吸をしていた。年々体力はなくなり、痩せ細り。わたしが中学生のときつらいときだけ酸素チューブをつけるようになり、それがいつのまにか手離せないようになり。わたしが大学生になったころには母が大好きな料理も掃除も手が震えてほとんどできなくなった。
母を一番近くで見ていたわたしと兄と父は不安でたまらなくなりその変化に気づかないふりをした。そうやって自分を保っていた。
彼女の祖父について詳しいことは分からない。けれど彼女の不安はわたしが知っているものと同じはずだ。
ならば、なんと返せばいいのだろう。
思い出したのはバイト先で仲がよかった先輩・三田さんのことばだった。
「ちゃんと栄養とってるか?冷凍食品ばっかり食べてたらあかんでぇ」
心配そうにこちらを覗いて言葉をかける三田さんを、私は直視できなかった。泣きそうだった。心配してかけられることばは、まるで全身をすっぽり包むあったかい毛布のようだった。
「しんどいやろうけど、ごはんはちゃんと食べるんやで!あと辛かったら連絡すること!夜でも朝でもいいからね!」
ナナに返信したあと、そうだな、これがいいよな、と自分の送った文を何度も読んだ。
「なんかあったら連絡してね」
母が亡くなったことを報告したときいろんな人にそう言われた。ありがたかった。まだ母が亡くなって一週間も経っていないときで、自分の足元はいつもぐらぐら揺れていた。
その上でバランスをとってふつうに生活することに必死だった。友人でもそこに踏み込まれると辛かった。だから「連絡してね」くらいが丁度よかった。
でも。私は辛いとき誰にも連絡しなかった。
そんな言葉は社交辞令だと思った。なにより、私は本当に辛いとき、母以外に頼れる人などいなかった。
返信するとき頭をよぎったのはライターのさえりさんのことばだった。
「しんどいときは自分で選択することも負担になるから、『お風呂入ろうね』とか『もう寝ようね』ってやることを言ってくれる人は本当に助かる」そんなツイートだった。
それはまさに母を亡くしたわたしが求めていたことばだった。だからななには本当に大切にしてほしいことだけを送った。
「ごはんを食べること」、そして「辛くなったら連絡すること」。
彼女が得体のしれない何かに耐えられなくなったとき、この言葉を思い出してくれたらいい。思い出さなくたっていい。ただ「あなたが大切だ」と伝えたかった。
だれかに問われた気がしたできごとだった。「母ちゃんがいなくなったとき、あんたはどうしてほしかったんだ?」と。
近くにいる誰かが、苦しく辛く立ち止まっていたら何かことばをかけたい。その人の悩みも置かれる環境も何もわからなくても。
「すんごいおいしいお店見つけたから行こうぜ!」とか「ちょっと顔見たいから会いたい!」とかそんなもんでいい。
その人が悩む環境ではないところで繋がっているわたしだからこそ、かけられることばがある。