藤井サケ
見たあとに書かずにはいられなかった作品たちのまとめ。 一部ネタバレもしますのでご注意!
他人に評価されることが自分のやりたいことになってしまっていることに、今さら気づいた。 わたしは手料理をインスタに投稿している。 それも毎回日光がきれいに入る朝に写真を撮り、それをiPadで加工して文字を入れ、イラストも添えるという手間と時間のかけぶり。 でもふと思った。 あれ、わたしこれがやりたかったんだっけ? 新社会人になりプライベートの時間が限られるようになった。このアマチュア・インスタグラマー活動にかけられる時間もなくなり投稿も減った。 家でiPadが視界に入る
なぜ夫ジョーは受賞スピーチで、妻ジョーンが嫌がっていた「妻への感謝」を口にしたのか。 そういえば話題のインド映画「パッドマン」でも妻が何度とがめても夫はナプキン開発をやめなかった。だがこの夫が妻のことばを聞き入れなかったのは、衛生状態の悪いナプキンを使うことで妻を死なせたくなかったからだ。そのために彼は自分のプライドも妻の反対も投げ打って研究をつづけた。 一方のジョーは妻のことなど考えちゃいない。ただ自分が評価されたくて妻の思いを無視した。 なによりも浅はかなのはジョー
嵐が活動休止を発表した。 連日さまざまな形で取り上げられている。それを眺めていてファンとして嵐について考えることはもちろんあるが、それとは別に「報道」について思うことがあったので書いてみたい。 ずばり 思うこと、とは報道は「受け手がニュースを正しく偏りなく理解すること」よりも「どれほどほかと違う情報を出せるか」や「自分たちの媒体がどれほど注目を浴びるか」に重心をおいているではないかということだ。 あるワイドショーでジャニーズの情報通と名のる男性が活動休止の理由を語っていた
紳士に見える彼は実は子どもだった。 「チャンス」という映画をご存知だろうか。1979年アメリカで公開されたコメディ映画。らしいが見終えたいま、これはコメディなのか?という疑問が残る。 とりあえずストーリーを簡単に説明しませう。 チャンス(50代白人)は豪邸に〝庭師〟として長年仕えながら暮らしていた。彼は知的障害を持っており、一度も家の外に出ることは許されなかった。しかしある朝、主人が亡くなったことで家を立ち退かなければならなくなった。 整ったスーツにハット、バッグと傘を
ほかの都道府県はどうかわからないが、京都のバス停には待ち客の列ができない。 なぜならひっきりなしに行く先さまざまなバスが来るからだ。列を作ってもみんな乗るバスはバラバラなのだ。 だからバス停あたりになんとなく人が溜まっていくのだけど、そこに日本人らしさがよく出る。 というのも大体みんな、バス停に先にいた人の前には立たない。後から来た人は後ろのほうに立つ。 たまにおばあさん・おじいさんが先客が見えていないかのように一番前に割り込むこともあるけれど。 たいていは後ろに並
「続ける力」は あたしに圧倒的に欠けている。 ダイエットもピアノの練習も日記も いつも気づけばやめている。 続けよう!と決意したことさえ忘れている。 だから今年、英語教室に通いはじめて ぶ厚い単語帳をもらったとき 「あたしゃ毎日できないだろな」と ハナから思っていた。 自分を信じることさえやめていた。 実際できなかった。 ここで毎日継続できた自分を褒めてやりたい、と言いたいところだが… だけど今までと一つ違ったのは 続けることをあきらめなかったことだ。 単語帳を開かない
結末はわかっていても、そこにたどりつくまでが苦しくて見てらんなかった。真夜中に少女にナプキンを渡したり実験に失敗して河に飛び込んだり。 でも恥ずかしげもなく書くとなにかを成し遂げるということは往々にしてそういうものなんだろう。失敗を重ねて恥ずかしいところを人に見られて、理解されなくてとがめられていろんなものを失って。 でも彼がナプキン作りをやめなかったのはチャレンジ精神よりも根性よりもたったひとつ、妻を失いたくない、があったから。 ゆくゆくはその思いから妻以外のだれかを
けさ、親友のナナからやっとLINEが返ってきた。ここ2週間ほどなぜか連絡がつかなかった。 「おじいちゃんが体調崩して…闇期入ってた」 文末にたくさんの絵文字。泣いた顔、ごめんねと合わせた手、土下座したひと。 彼女が就活に失敗してよからぬことを考えているのではないかと、ひやひやしていたわたしはすこしほっとして息をついた。と同時に、彼女がいまいる状況をわたしは知っていると気づいた。 いつも当たり前のように近くにいる人が健康を損なって、ぐらぐらと家族全体が揺れ動く、この感じ
もしかすると自分で変えられないことなどないのでは…? 龍崎翔子さんのインタビューを読んでいて考えた。彼女は子どものころアメリカを家族で横断していて、唯一の楽しみであったホテルがどれも似たり寄ったりなことにがっかりしたという。その経験が今のホテルプロデューサーという仕事につながっているんだとか。 自分がもった不満を解消する。たったそれだけのことなのに、それが仕事になるなんて。同い年というだけで感じていた一方的なライバル心が砂時計の砂のようにさらさら消えていった。代わりにこの
ㅤ電車が走りだし駅をでたとき視界の端に梅田の街がぴかぴか光っているのが見えた。ふと顔を向けたらまったく同じタイミングで前に座っていたスーツのお兄さんも外を見た。 なんだかはずかしくてすぐスマホに視線を落とした。 きっと交流関係がきらびやかな人ならそんなときお兄さんの顔を見てふふって笑いかけるのだろうし、わたしはいつもそういう人に笑いかけられて友だちになるタイプだ。 社交的にふるまうことはできても根っからの社交人間ではない。むしろ多くの場合、初対面では人見知りを発動してむ
ㅤ人が行き交う道で、ひとりの男の子が懸命に写真を撮っていた。スマホではなくカメラで。その先に目を向けると小学生が描いたと思われる作品たちが並んでいた。 ㅤクレヨンで描かれた風神雷神図、大きなペンギン。名作を模した作品たちなのだろう。「青空展」と題されていた。今日のような晴れた日曜にぴったりだ。 ㅤふふ、いいもの見たなぁと思うと同時にふと気づいた。カメラを向けていたあの男の子がいなかったらわたしは絵に目を向けなかっただろうと。 ㅤ男の子が立ったり座ったりしながら一生懸命写
死ってなんだろう。 その前に生ってなんだろう。 この作品を見ているとき何度も頭をよぎった疑問だった。 答えは今もわからない。 20歳のとき母を亡くしてから一年経った今も、母の死ってなんだったんだろうと思うし母の一生ってなんだったんだろうとも思う。 一番近くにいたはずなのに、まだわからないことだらけだ。 でもこの作品を見てあることに気づいた。 人はひとの“笑顔”に最もつよく、生を感じるのでは?と。 作中にもそういうシーンがあった。 事故に遭い眠り続ける娘。その体に電気を
ㅤ人生の最終目標ってなんですか? ㅤ「うち、最終的には作詞家になりたい」 ㅤ大学の友人たちと飲んでいるとき1人が言い出した。ひと通り盛り上がったあとのふと静まりかえった瞬間だった。 ㅤ唐突でおどろいたがそれよりも小さな違和感をおぼえてわたしは「最終的に?」と口にした。彼女はうなずき、だから今はインプットの期間なの、と答えた。 ㅤ大学4年のわたしたちは来年の春には就職する。彼女は内定をもらった飲食店に決めたと言っていた。だから作詞家には今すぐではなくいつか、なりたいとい
つめたい空気を通りぬけて、バスにのる。 目の前に座っていた人が立ち出口へ向かった。やった、とつぶやき空いたその席に座る。その瞬間。ぶわっと優しいかおりにつつまれた。 あ、これやばい。直感的に思った。やさしくてあたたかくてドキドキして、いつかの何かを思い出しそうなかおり。すきなかおりだ。きっとさっきの人のもの。 どんな人だっけ。ついさきほどの記憶をたどっても若い男性だったことしか覚えていない。こんなすてきなかおりをただよわせるあの人を、もっと知りたいと思った。 かおりは
ㅤ店長って孤立しやすいんだなぁ。いろんな店でバイトを経験するうちにそれはわたしの中だけの定説になった。 「シフトの組み方おかしくない?」 「小さいことまで口出ししてくるからうざい」 ㅤバイトも社員も集まるとたちまち店長への不満を漏らす。店長の話は全員の共通項だから話しやすいということもあるのだろう。 ㅤわかりやすくいえば店長は点だ。そして全く別の場所に円がある。それが店長以外の従業員だ。 ㅤ円から弾き出された店長は円のなかで交わされる会話には気づかない。陰口を言われて
ㅤ「最近気づいたんや。悲しみを乗り越えるのではなくて悲しみとともに生きていくんやって」そのことばを聞いたときわたしのなかで共感の鐘が鳴りひびいていた。 ㅤこれは連続テレビ小説「半分、青い。」に出てくる弥一さんのことばだ。親友を亡くした主人公すずめが、どうすればその悲しみを乗り越えられるのかと聞いたときだ。数年前に妻を亡くした弥一さんはそう言ってやさしく微笑んだ。 ㅤそう、そうなのだ。わたしは昨年、だいすきな母を亡くした。それからずっとわたしのなかにあった違和感が弥一さんの