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田舎の思い出

コメントなど滞っておりましたが、つつがなく過ごしています。

デジタルデトックス!と意気込むまでもなく、出先では自然と気持ちがオフラインになるタイプ。


昨年亡くなった祖父の法事にあわせ、
先週末からすこし、実家と田舎に帰っていました。
今回はそのあたりの思い出話です。

9月9日はオオサンショウウオの日だったそう。
重陽の節句でなんともみなぎる日。



さて、久しぶりの田舎。
前職はお盆休みがなかったこと、感染症もろもろで3~4年ほど空きました。
その間に祖母・祖父共に相次いで他界。
祖母は94歳、祖父は100歳の大台で、90歳を超えても私には最後まで元気な姿を見せてくれました。

田舎には毎年お盆に1週間ほど帰っていました。
冬は雪深く行き来に苦労することと、両親の休みの関係もあって
夏だけゆっくり帰るのが慣例。
自家用車に荷物と何冊もの本を詰め込んで、
涼しい田舎で家族おのおの読書するという、何とも贅沢な時間をもらったものです。


7年前の景色


以前は明け方寒くて布団をかぶるほどの涼しさでした。
京都に住む私たち一家にとっては素晴らしい避暑地。

風のとおる部屋でゴロゴロと本を読み
あぜ道でカエルを大量につかまえ
集まる親戚に慣れない挨拶をして
祖母の作ってくれる巻きずしやシバ餅を一緒に食べる。
祖父母が用意してくれていた花火をしたり
流れ星を眺めたり
神楽を観に連れて行ってもらったり。

子供ながら「絵に描いたような夏休みだなぁ」と思っていました。



祖母の思い出と言えば作ってくれる巻きずしやシバ餅。
お正月にはアンコの入ったお餅をたくさん送ってくれたこと、
滞在中に出してくれるスイカや畑を歩く後ろ姿や
毎年「スラッとしとるねぇ」とびっくりするように褒めてくれること(私はそんなにスラッとしていませんが 笑)

そんな日常のささやかな仕草と言葉が思い出されます。

一方の祖父。
一言で言うならば「すごい」になるのかなぁ。

厳格な面もあったのでしょうが
いつも穏やかで落ち着いた楽しい話しぶりで
早朝から夕方まで田畑の仕事をしながら、郷土史や自伝をまとめたり
夜中に尋ねてくる親戚の話し相手をして、
盆踊りの唄を寝言で朗々と(本当に朗々と)謡う(’∀’)

そんな祖父母の家で穏やかに過ごすのが私の夏休みでした。


小さい頃はあまり入らせてもらえなかった納屋


祖父ばかりに想いが深いわけではありませんが、
すごい人だなぁとしみじみ思うのも事実です。

農作業の合間や夜には自室で書き物。
幾つかは、A4用紙に印刷して読ませてくれました。

7年前もらった手記は『比島脱出事件と私』という題名で
祖父の戦争体験の中でも印象深い出来事について書かれたものです。



1943年に電気工学科を卒業し、陸軍研究所に配属された祖父は、フィリピンのマニラ出張を命じられました。
マニラには翌年12月に到着、出張予定期間の2か月を過ぎても迎えの飛行機が来ない。
当時、現地の制空権・制海権はすでに日本になかったようです。
迎えが来ないまま部隊生活を送る中、部下の方が「日本へ帰りたい」と切り出します。

帰れるはずがないのに馬鹿なことを言うな、と言いたいところだが、一晩考えさせよ、と言っておき、翌朝、「それでは、これから飛行機を探して帰らせてやろう」と一世一代の大嘘をついた。彼らが、玉砕も止むなしと自覚するまでの時間稼ぎのつもりだったのである。
 しかし今にして思えば、この辺の処理は22歳の私にしては上出来だったのである。

『比島脱出事件と私』


探すフリをしているときに、上層部用の脱出機を用意している将校に出会います。
事情を聞いたその方は「本土決戦に備えて技術要員を送り返せ、という命令が出ている」と祖父たち3人を乗せてくれました。
飛行機は1945年3月10日東京大空襲の日に帰着し、終戦を迎えます。




なんともすごい話です。
なぜ「脱出」できたのか祖父も不思議に思いながら、戦後しばらくして背景にあった逃亡事件に気づいたそう。
平成26年、その事件に触れた新聞記事を読み、書いたのがこの手記でした。

戦線離脱は銃殺であった時代に、偶然とはいえ「逃亡できた」こと、
「技術要員を送り返せ」という命令はおそらくなかったこと、
部下の「帰りたい」が自分を生かしてくれたこと。

私には祖父の胸中を想像することもできませんが
淡々とA4用紙3枚ほどの文章に記した祖父をすごいと思うのです。

祖父母がなくなっても家はそこにあり、親類もそこで暮らしていくものの
やはり1つ区切りがついた、そんな気分です。
ずいぶん可愛がってもらっていたこともあって、私には本当にありがたい田舎でした。
めったにない、まれな、という気持ちでのありがたさでした。



トマトをスケッチしていたら日除けを作ってくれた思い出


そんなわけで田舎と実家で過ごしていたここ何日です。

途中、立ち寄った松江の「小泉八雲記念館」。
コンパクトながら充実した記念館でとても楽しかったです。

実家ではいつも通り新聞やキョウダイの蔵書を読みふけって、
気がついたら自宅へ戻ってきて…で、
もう少し積極的に家族と対話すれば良かったかしら…と今になってちと反省(;'∀’)
みな、ありがたいなぁと思っているのですけれど。


もう個展の11月末まで、イベントはありませんので
絵の制作、きっちり巻いていこうと思います。
と言いながら…今日はwebサイトの更新したらキョウダイから借りた京極さんの分厚い本を仕留めるつもりまんまん(*’∀’)
あと400ページほど…!(今740ページ)


9月も折り返し、皆様つつがなく過ごされますように。






おまけ

川の連作3枚、6割くらい進めたところです。
あとは白く、ただただ白く(’∀’)!

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