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はらはらり清めの塩や大相撲
皆さま、ごきげんよう。
今日のお寫眞はお相撲なのですけれども、なぜかと申しますと皇極天皇元年の7月22日に相撲が行なわれたという記述が「日本書紀」に残っておりますのよ。西暦ですと642年ですわね。
皇極天皇は女帝ですけれども、わたくしのようにお相撲が好きだったのかしら――。
さて「日本書紀」に残っている相撲の記録、実は更に古いものがありましてそれは「女相撲」なのです。雄略天皇13年なのでおそらく5世紀中頃、采女という女官を集めて相撲を取らせた記録が残っておりますわ。
なおこれに見惚れて仕事を失敗をした木工職人は雄略天皇に責められて処刑を言い渡されておりますわ。――ただ、この話には救いがありまして、この名工を惜しんだ弟子が和歌で雄略天皇に助命を願うのです。
それで執行寸前で処刑が中止となりまして、事なきを得たそうでしてよ。
和歌は身を助けますわね――。
そんな名工がなぜ見惚れて失敗したのかと申しますと、おそらくこの相撲を取った「采女」という女官が、当時美女を集めていたからではないかしら。当時「采女」は殿方の一種の憧れの対象だったそうでしてよ。
ということで本日の教訓は「和歌で命が助かることもある」ということですわね。「芸は身を助く」という諺がありますけれども、今日のそれは生活ではなくって本当に命が救われたお話でございました。
いつ助かるか分かりませんので、わたくしも俳句に和歌にと精進してまいりたく存じますわ。
それにしましても「相撲」という言葉が用いられた最初の記録が、女相撲で処刑沙汰というのもどうかという気が致しますわね――。
皇極天皇の催しました相撲は百済から亡命された外交官の方を持て成すというちゃんとした意味があったそうですから、好角家としてはこちらを最初の記録にしたいですわ。
俳句ですと「相撲」は初秋の季語なのですけれども、こうして歴史を眺めてみますとその理由も少し腑に落ちる気が致しますわよね。
平安時代は七夕祭りの余興だったそうでしてよ。
朝露や櫓太鼓の音すなり 雪子
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