舟歌や青き蕤賓流れをり
ごきげんよう。
突然ですけれども、皆さま「吹雪月」って何月のことだか分かりますかしら?
――実はわたくし今まで少し調べ物をしていたのですけれども、正解は5月のことを「吹雪月」と言うそうでしてよ。卯の花を雪に見立てたそうですけれども、試験に出たら冬の月と間違えてしまいそうですわね。
このように季節の異名というのは探せばキリがないのですけれども、一方で由来のよく分からないものも多いですわ。
冒頭の句に用いました「蕤賓(すいひん)」というのも五月の異名らしいのですけれども、まず普通では読めませんものね。
意味としては古代中国の音階で「ファ」の ♯ (シャープ)を表す言葉らしいのですけれども、なぜ五月の意味になるのかしら?
――ということで、文字ですと伝わり難かったので五線譜に起こしてみたのですけれども「十二律と暦」は古来中国では、それぞれこのように対応していたそうですわ。
何故11月から始まるのかしらね。西洋のレが東洋では起点だったのかしら?
さて、わたくしにとりましての問題は、この十二律を「季語」として扱って良いのかという点なのですけれども、わたくしのいま手元にある解説書には採用されておりませんわ。
中には載っている本もあるようなのですけれども、どちらにしましても前提としての十二律の知識が十分に共有されていないと意味が伝わりませんので詩としての評価は難しくなるのではないかしら。
俳句を含めまして「詩」は詠み手の心象を読者が再現しなければ鑑賞の成立しない文芸ですから、五月の季語として「蕤賓」を用いますと読み手に十二律の音楽的な知識とそれが五月を表すという知識の共有が求められますわ。
これを前提として読者に強いるのは流石に少々難しい気がいたします――。
ということで今日は試しに「蕤賓(すいひん)」を用いまして冒頭の一句
「舟歌や青き蕤賓流れをり」と詠んでみたのですけれども――、
これを詠み手であるわたくしの意図通り読者の方に解釈して頂くためには、
1.「蕤賓」は「五月の異称」であること
2.「蕤賓」は十二律で「ファ♯」の音の意味であること
3.ショパンの「舟歌」というピアノ曲は「嬰ヘ長調」であること
4.「嬰ヘ長調」は「F♯major(ファ♯)」の音が主音であること
という、言葉と音樂の知識を前提として共有していることが必要ですわ。
ということで「蕤賓(すいひん)」で一句詠むとなりますと多段階の知識の共有が詠み手と鑑賞する人の間で必要になりますから、これが文芸としての俳句の美として成立しうるのかどうか、わたくしにはよく分かりませんわ。
今日は俳句の詠みと鑑賞について少しそんな思考を巡らせてみましたわ。
――普段はこんなに堅苦しいことは考えずに気ままに詠んでおりますので、何卒ご安心くださいませ。
芙蓉セツ子