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心がゆらいだり、迷ったときに思い出す言葉。私独自の考え方だからあまり人の参考にはならないかも。
自分の心がゆらいだり、迷い道でグルグルした時に、心の中で復唱したり、思い出す言葉があります。
夢が果てしなく遠く感じ、くじけそうになるとき思い出す言葉。
『辛抱強く 大きな夢を持ち続け 現実をうけ入れる。』
辛抱強く、もミソだし、現実を受け入れる冷静さ、もミソと思ってます。
Noteを書きながら迷いがでるとき。
もし 私が ひとつの心がこわれるのを
止められるなら
生きるのも むだではない
もし ひとつの命のうずきを
やわらげられるのなら
または その痛みを
しずめられるのなら
それとも 気をうしないかけた こまどりを
巣にもどして あげられるなら
生きるのも むだではない
この詩の想いを心にもってNoteを書いてはいるんですが、書き進めていくうちに、結局は、わたしのこころが癒されていっているんだということに気づきました。
でも、エミリディキンスンのこの想いは、心の奥に大切に持ちつづけていきたいと思っています。
全くの余談ですが、この詩を読むと、実家にいたとき、庭の木に、毎年つがいの鳩が卵を産み育てにきていたんですが、自然界は厳しいもので、蛇に巣から落とされてしまった鳩の介抱したり、カラスから卵を守ったりして、ずっと鳩の親子を見守っていたことを懐かしく思い出します。
勇気が必要な時。
『人生をもっと楽しんでやろう!驚いてやろう!』
そこに自分で勝手にプラス。『もっと面白がってやろう!』
執着、とらわれ、から離れられないとき。
依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖
父が亡くなった時、しばらくの間、般若心経を唱えていましたが、今はサボって、正直覚えていません(バチあたりか😑)。が、部分的には記憶にあるところもあって‥‥
『心無罣礙 』→こころに何も引っかかるものが無い。
人の悩みって、とらわれからきていることが多いように思います。悩みをうまく消化し流していければいいんですが、こだわりやとらわれを通り越し、重く、深く心の中に入って執着のようになってしまうことが多いように思います。
「あーまた考えてる、とらわれてるな」って感じる時は、心の中で、心無罣礙、心無罣礙って3回ほど唱えるんです。その単語だけ唱えるのは、ばちあたりなのかな?わかんないですけど笑😅
もっと日常の軽い問題は、
『 それ、どうでもいい』という過ごし方
それ、考えなくてもいいや。「それ、どうでもいい」ことか、とできるだけ流してしまいます。
いろいろ書きましたが、やはり煩悩だらけのわたし、笑😮💨。少しづつ工夫したり、迷ったりしながら、日々を過ごしています。
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