『迷わない』ために「整える」という考え方
前回の記事で『迷い』は消耗するということを書いた。
私は迷いを減らすために、選ばなくていい生き方をしているということだ。
それは脳の消耗を防いで、日常生活をできるだけ快適に過ごすための工夫だ。
その工夫の一つに『整理整頓』も含まれる。
過去の私は、かなりの片付けられない女だった。部屋は荷物で溢れていたし、収納を増やすための工夫をして、なんとかモノを納めていた。
引っ越しをするたびに大量の段ボールを抱えて引っ越しをしていた。
それが変わったのは2回目にウツで動けなくなった前後のことだ。
今から4年前、私は学級担任を持って学級経営に奮闘していた。
小学校から中学校への異動、中学生の発達段階に合わせた指導、クラスの揉め事、周りとの調和、私生活の混乱(ちょうど離婚時期と重なった)で私の精神状態はギリギリだった。
そんな中、私の感覚に違和感が生じてきた。
部屋が散らかっていると、それだけで疲れるようになったのだ。
外から帰ってきて、散らかった荷物がある。
ソファの上を片付けないと座れない。
読んでいないDMや広告、読みきれなかった朝刊の束…
帰ってきたら部屋の掃除から始める日々。
掃除をしながら献立を考えて作って食べる生活。
深夜近くまでの残業生活。
散らかった部屋の中で野菜ジュースと栄養ドリンクを飲む気力しかない生活。
そんな生活で体が持つわけがなく、ある日、動けなくなった。
(この後のことはいつかまた書くことにする)
通院しながら生活を立て直していく中で、私はモノを捨てはじめた。
『断捨離』という言葉を知ったのもこの頃だったと思う。
まずは、家の中にあるときめかないモノを捨てた。
テーブルの上などを写真に撮ると、意外に冷静にわかる。
ときめかないものは捨てる。もしくは片付ける。
物が減らせたら、しまう場所を決める。これも悩まないための工夫だ。
そして、その引き出しに入る分しか持たない。
一年以上使っていないものは処分する。
当たり前のようだが、忙しさを理由にやってこなかったのだ。
でも、大掃除ではなく余裕のある時に(気づいた時=脳の余裕がある時)ちょっと捨てる。ちょっと片付ける。
着る時に何か気になることがあって戻したとしたら、その服はもう着ないのだ。
(例えばサイズ、毛玉、ヨレなど)一着捨てて、買う。すごくシンプルだ。
この行動が、未来の自分を救うのだ。
昨年末、私は大掃除をしなかった。
汚れを溜め込まなかったからだ。
日々の小掃除の積み重ねが、年末の自分を救った。
一緒に、シンプルな暮らしをしてみませんか。