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「プー」で学ぶ"老子"のキーワード~『クマのプーさんの「のんびり」タオ』(本の紹介)

人生が「おもしろくない」と感じるのなら

先日ディズニープラスで『くまのプーさん』の映画を観ました。
私はプーさんのハニーハントには乗ったことがありますが、プーさんの映画は観たことがなかったです。
正直そんなに期待していなかったですが、これが非常におもしろかった!
まず音楽がいい!最初の歌(くまのプー、くまのプー♪っていうあれです)も妙にハマります(くまのプー、くまのプー♪の後の歌詞を知っていますか?)。
それに最後は『トイ・ストーリー』などの作品とも共通する切ない終わり方をするので、その点もすばらしかったです。

そんなこんなで、私は楽しい思いをすることができたのですが、あなたは最近、何かで笑いましたか?
日々、人生に「楽しい」という感覚を持って過ごしてますか?

笑ったり、毎日「楽しい!」「生きてるな~」って感じながら生きているといいのですが・・・。

もしあなたが「何となく"おもしろくない"」と感じているのであれば、それは大問題です。
すぐにでも「楽しい」がある方向に目を向けてください。
なぜなら、生きることの目的は、幸せを広げていくことだからです。
幸せが広がっていないなら、それは命の目的に反しています。
そして心は、命の目的に反することを、大きな苦痛に感じてしまいます。

私たちの命は、目にも見えず手で触ることもできない「何か」から生まれてきました。
生まれた後もその「何か」によって生かされ、導かれています。
私たちが「楽しい!」「生きてるな~」って感じながら生きることができるのも、その導きがあるからです。
もし私たちが、気取らず、難しいことも考えず、自然のままにその「何か」と調和しているなら、私たちは個人個人が本来いるべき場所に導かれ、幸せは勝手に広がっていきます。

でも私たちは、高度に発達した現代生活によって自然体を失ってしまっています。
そうすると、その「何か」と離れてしまい、調和が失われるのです。
簡単に言えば、人生がおもしろくなくなってしまうのです。

なぜ、私たちは自然であることから離れてしまうのか。
どうやったら自然体に戻れるのか。

今回は、この問題について考えてみましょうという企画です。
そのために、あるキャラクターに登場していただきましょう。

そのキャラクターというのは、"まるまるとしたちっちゃいクマ"、そう「プーさん」です(くまのプー、くまのプー♪の後の歌詞がこれです。見たまんまです)。

実はプーさんは、私たちの命を根っこから支えて導いているその「何か」と調和しながら生きている、中国の山奥にいる仙人のような存在なのです。

約2500年前の中国には、この「何か」の奥深い絶対性を探究し、それに導かれて自然体で生きていくことを説いた思想が表れました。

それが老子と荘子に代表される「老荘思想」です。

その老荘思想を、プーさんの生き方や考え方を土台にして紐解いていこうという、『クマのプーさんの「のんびり」タオ』という実にクリエイティブな本があります。

この記事では、『クマのプーさんの「のんびり」タオ』の中から「この一章を読めばすべてがわかる!」という部分を抜き出して、人生を楽しく生きるためのヒントを探していきます。

それでは、みんなでプーさんがいる100エーカーの森へと入っていきましょう・・・。

プーさんの生き方とは?

「ウサギはりこうだね」と、プーは考え深げにいった。
「うん」と、コブタ。「ウサギはりこうだ」
「それに、アタマがいい」
「うん」とコブタ。「ウサギはアタマがいい」
 ふたりはしばらく黙っていた。
「そのせいだと思うんだよね」と、プーがいった。「あいつがいつもなんにもわかっちゃいないのは」

『クマのプーさんの「のんびり」タオ』ベンジャミン・ホフ著 𠮷福伸逸+松下みさを訳 
講談社文庫p33

プーさんって、意外と毒舌なときもあるんですね。

それはさておき。
私たちは家でも学校でも、大人たちに「"アタマがよい"ということは良いことだからね」と教えられ、「アタマをよくするため」といって先生の話を聞いたりドリルを解いたり受験を受けたりしてきました。
でも、それって私たちが幸せになるために役に立っているのでしょうか?

もちろん、真の意味での賢さは、人生をよりよく生きるためには必要なことです。
真の賢さを土台にしていれば、学校で学んだ知識も役に立ってくれるでしょう。

でも人は、知識を詰め込みすぎて逆に何がなんだかわからなくなったり、「ぼくの方が知ってるから!」と他人と比較して優位性を確かめるために知識を使ったり、目の前の風景の美しさや料理の味わいを知識によって味気ないものにしたりしています。

さらにひどいことには、世の中を動かすような「アタマの良い」人は、その知識を使って新しい「問題」まで発明したりします。

私たちはこのように、知識を得ることで逆に知識に支配されてしまっています。それによって、私たちは自然であることから離れてしまいます。

でも、"プーのおばかさん"は、そんなふうに知識をもてあそんだりしません。
外側から知識を得なくても、感じたように動けば幸せにつながる行動ができるんです。

そんなプーさんを一言で表すなら「素朴」ということばがふさわしいでしょう。

実は老荘思想にも、素朴さを表す「プー」があります。

それは「(あらき)」ということばです。

この「樸」というのは、老子の『道徳経』の中に何度も登場する重要な概念で、「飾り気のない素朴さ」といった意味です。
本来「樸」というのは、まだ削り出す前の、切り出してきてそのままにしてある木材のことを言います。
加工される前の純朴な状態でありながら、どのような用途へも加工できるという潜在的な可能性を秘めているのが「樸」です。

そしてなんと「樸」の中国語の発音が「プー」なのです(厳密には「くまのプーさん」の「プー」のイントネーションではなく、品のある短いおならのような発音なのですが)。

老子は、アタマで考えて自分自身の人生をコントロールするのではなく、私たちを生かしている「何か」に委ねて自然のままに生きる人は、まるで「樸」のような純朴さがあると言います。

老子はこの「何か」を、「道」と名づけています。「道」は「タオ」と読みます(『クマのプーさんの「のんびり」タオ』の「タオ」ですね)。
「道(タオ)」はこの世界にまったく姿を見せませんが、見えない世界から見える世界のありとあらゆるものを支え、生かし、導いています。
原子から太陽系に至るまで、この「道」が創り出した一切が、完璧な調和のもとに存在しています。

ポイントは、「樸」のような純朴さを持っている人は、「道」の調和の力によって人生が自然と良い方に導かれる、ということです。
『クマのプーさんの「のんびり」タオ』の作者ベンジャミン・ホフも「本来の素朴さをそなえているものには生来の力がある」(p25)と言っています。

プーさんには、まさにそのような力が備わっています。素朴であることによって、いるべき場所にいつも導かれています。だからこそ、プーはあるがままに人生を楽しみ、物事の本質を見抜き、世界中の人々から何十年にわたって愛されているのです。

人生をシンプルに楽しむために

シンプルに考えれば、人生は楽しめるはずです。
私たちも小っちゃい子どもの頃には、シンプルに人生を楽しんでいたはずです。
でも私たちは、子どものころに関わった大人たちから、明にも暗にも「それではダメだ」と言われ、人生を「複雑」にすることを教え込まれてきました。

シンプルであれば、言いたいことがあればそれを口に出します。
でも私たちは、衝突を恐れて喉まで出かかった自分の意見を飲み込んだりします。
シンプルであれば、自分の夢に挑戦します。
でも私たちは、失敗を恐れて「現実的な」人生を歩みます。
シンプルであれば・・・。

シンプルであればできることをしないということ、それが「複雑」ということです。
本当は、こんな「複雑さ」なんて、まとめて焼却炉に投げ込んでしまっていいのにね。

複雑になるから「我慢」する。我慢するから、自分が生きたいように生きられない。
そんなふうでは、人生が「何となく"おもしろくない"」ってなるのも、ムリはありません。
でも、プーさんはそんなこと、一切しません。

「みんなに会いに行くことにしようよ」と、プーがいった。(中略)
 コブタはみんなに会いに行くとしたら、なにか理由がなければならないと思った。チビをさがすとか、たんこん隊をそきしするといった理由だ。プーが何かを思いついたら、だが。
 プーは、思いついた。
「ぼくたちが行くのはね、木曜日だからだよ。それでみんなに木曜日おめでとうをいいに行くんだ。行こう、コブタ」

『クマのプーさんの「のんびり」タオ』p43

なんという愛すべき「おばかさん」なんでしょうか。

会いたい人がいるなら、会いに行けばいい。それがシンプルな生き方です。
でも私たちは、「いきなり会いに行ったらわるいかな?」なんて考えて、会いに行くための理由を考えます。
そういう意味でいえば、プーさんだって理由を考えたのだから、確かにアタマは使っていますね。

でも、プーさんが思いついた理由は「木曜日だから」というもの。
それって、何にも考えてないも同然ですね。あっははは。
でもこれでいいんです。むしろ、会いたい人に会えた時に「木曜日おめでとう」なんて言えたら、それはそれで何でもない日がめでたい日になる気がします。

そういうシンプルさを持っている人に、人は魅力を感じます。

そういえば、日本にもそういったシンプルさでもって、多くの人々から愛されているキャラクターがいました。
それは、『ドラゴンボール』の孫悟空です。

彼もまた、「強ぇやつと戦ぇてぇ」という、シンプル極まりない人生観の持ち主で、それによって幸せを得ています。
だからといって悟空がアタマをまったく使っていないかというと、そういうわけではありません。
悟空は、実際的なことを考えるためにアタマを使っているのです。
「それ食えんのか?」という態度です。

シンプル、つまり「単純」。単純であることによって、単純に考えることによって、人は大いなる流れに導かれます。
その流れに乗れば、旅の途中も旅の終わりもすべて「幸せ」に満たされます。
そのような人だからこそ周りから愛され、協力され、物事を成し遂げることもできるのです。

これは老荘思想の、そして仏教や神道の極意でもあります。

・・・

単純さに気持ちを向けていたら、何だか気分がよくなってきました。
私もプーさんにならって、あなたに言いましょう。
「今日という日、おめでとう」


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ひふみ国師(身、心、神)
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