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許してあげるという愛情


高瀬隼子さんの「水たまりで息をする」を読んだ。


本屋さんの文庫本のフェアのコーナーで見かけて、何ページか読んで見ると読みやすくスラスラと読めていくので購入して併設されているカフェで読んだ。

あらすじはある日を境に主人公の夫が、水道の水が臭いし浴びると痛い気がする(実際には匂わないし痛くもない)と言い出し一切お風呂に入らなくなる。そこからの主人公の心境の変化や夫婦としての社会的に立場や関係性などがリアルに描かれていてく作品となっている。


私はこの作品を読んで、2ヶ月前に同居していた彼氏が突然ヴィーガンになったんだよね〜と話していた親友と重ねてしまった。
作品のようにお風呂に入らなくなるというのは極端ではあるが、宗教や体質とは関係なくヴィーガンを宣言して、肉類を食べなくという状況に一緒に暮らしている親友が巻き込まれていくことがすごく似た状況ではないかと思った。

※お風呂に入らないこととヴィーガンを同等として見ている訳ではありません。
また、ヴィーガンを否定している訳でもありませんが、ただ一緒に暮らしている友人が暮らしにくそうだと思って書いています。

(以下ネタバレ含む)


作品での主人公はお風呂に入らなくなり、日に日に臭くなっていく夫に対し、お風呂に入って欲しいとは強く願うものの、夫に強制したり無理やりにお風呂に入れることはしなかった。
主人公はミネラルウォーターなら平気という夫に対して、浴びた方がいいよと言ってはたまに夫に水をかけて、それを夫は渋々浴びるという日々が突然始まる。夫が雨の日に外で体を洗うよになったり、川で水浴びをするようになっても、心配はするものの本人が以前よりイキイキとしていることを思うと、自由にやらせてあげていた。
一瞬病院のことも考えるが夫はお風呂に入らなくなったこと以外は健康で病気には見えなかったり、普通ではないがお風呂に入らないことが病気だとは思えなかったり、自分の夫がまさか病気だなんてことを認められずに、病院すら勧めなかった。
一見愛情のない変な関係に見えるが、主人公が夫に対して愛情が無かったわけではない。
主人公は実の父親が亡くなったときに泣けなかったり、夫との結婚もそうした方がいいからといった理由で結婚しているなど、人間関係で冷めているところがあった。しかし、夫を愛していないわけでないし、日に日に臭うようになっていく夫とも一緒に暮らし続けていく。どのような形であってもずっと二人の生活が続けばいいと心から願っていた。

また私の親友も、突然彼氏がヴィーガンになったものの、自分に強制してくるわけじゃないし、本人が肉が嫌なら仕方がないかと受け入れ、一緒に生活をしている。もちろん心配もしているし、愛していないわけでないが、肉を食べることを強制したり、体に悪いと言って忠告することもなく本人のやりたいようにやらせているという。
本作も、親友もどちらも相手に対する"許してあげたい“という気持ちがあるのだ。

一方私は、自分の恋人だったり家族だったりが突然このような状況になったら許せるだろうかと考えてしまった。
私だったら、おかしいからやめてほしいと思ってしまったり、心配だからと色々強要してしまうような気がするし、それが愛情だと思っていた。
しかし、許すことも諦めてあげることは相手にの主義や思想を黙認してあげることであり、一般的にはおかしいことだが本人がどうしてもそうしたいということをさせてあげることもまた愛情のひとつなんだと思った。

情が深いことや世話を甲斐甲斐しく焼くことが愛情の全てではないし、全てを分かりあうことが人間関係の全てではないと思った。
たとえ恋人や家族であっても、一見冷めている関係にも見えるが相手の気持ちややりたいことを尊重して自分と同じ考えにならなくてもいいと思える諦める心も愛情になるのだと思った。

主人公は夫が雨の日に外に体を洗いにいくことも、都心から5時間かけて田舎の川を浴びにいくこともおかしいと思いながらも許し続けてる。せめてミネラルウォーターを浴びて欲しいと願うことにも諦めがついている。
主人公も夫も許してあげたいという気持ちが強すぎてを病院に連れて行かなたったり、冷たいミネラルウォーターをそのままかけたり、その後も色々と感覚がズレているところは多々あるがこの話は一般的な感覚とはあまりにもかけ離れていて不気味に思う話ではなく、物語の中の二人の関係には一貫して主人公の相手を思いやる愛情が描かれている。そういう愛の形を示している物語だと思った。
また、その愛情は本人たちでしか量れないものであり、周りからどう思われたり言われようと、愛情や親愛の気持ちには変わりがないのだ。

自分のパートナーが突然お風呂に入らなくなったら…肉を食べたくないと言い出したら…
他にも突然日常の当たり前がが当たり前じゃなくなる瞬間があるとしたら自分はそれを否定的にとらえず、良い意味でも距離感を持って付き合っていられるか、相手の主張を尊重してあげられるか、自分との考え方の違いを許してあげられるのかなどいろいろ考えることができた。

高瀬隼子さんは他にも芥川賞を受賞している「おいしいごはんが食べられますように」という作品もあるので読んでみようと思った。

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