人生のセレモニーに携わり一喜一憂したあの頃。
この業界に縁があったのか「冠婚葬祭」の会社で2社 勤めました。どちらも互助会・会員勧誘の営業。ブライダルも携われると夢を持って入社しましたが、実際はご時世的に葬儀の方が主流でした。
外回りの訪問営業は厳しく、目に見えない商品のお勧めも難しかった。黒いスーツ姿で歩くといかにも営業と、外にいた人も目をそらす。ピンポンして社名を名乗ると
「葬儀屋か!オレは死なんから 帰れ」「縁起が悪い」
などと言われ門前払いされたり。お断りが続くと人並みに凹んだ。気分転換に庭先の花をみたり、歩道の草花の写真を撮ったり。そして、あと15分、あと何件、頑張ろう!と また奮起した。そんな繰り返しの踏ん張りが、時には いい出会いに恵まれたりもしました。
長年、派遣社員として働いた経験から 上司の指示には全面的に従うようにしていました。
新人の頃(と、いっても45歳過ぎてましたが新入り)教えて貰える暇もなく大きなイベントの集客を任されました。とにかく誘ってくださいと、、声掛けはしたけれど一人も来なかったらどうしよう。
そんな不安な中、イベントには沢山の方が私の名刺をもって来館下さり、上司が懸命に対応、10契約も成立!全部私の成績にしてくれました。上司はお誘いした者の成績にするのは当たり前だ、と言われましたが 自分でクロージングしてないのに…と、よく思ってない同僚もいたりして(次回のお話に出てくるAさん) ふわりさんのお客様に上司がかかりきりだったと。。それはそう、申し訳なかった。ですが 私の集客した方は対応しますからとの上司の判断の上でした。彼女はしばらく所長に噛み付いていたようです。
Aさんからしたら私は最初から気に食わない存在でした。
その後も見込みのお客様の同行はいつでもしますから、と皆にもいわれていたので上司のお言葉に甘え 何とかアポ取りまで出来る対話を目標にし、120%頼っての私の契約の取り方はとても緩かった。
ただ見込み客を作る労力は惜しみませんでした。エレベーターのない5階建ての団地 何棟も階段駆け上りピンポン、 地図に名前が無いような一軒家まで、とにかく他の人が好んで行かない所を数うち当たれで回り 留守宅は何度も時間を変えて訪問しました。ですから、いつもスーツは動きやすいパンツスタイルでした。
押しに弱いし営業には向かない、ずっと思ってましたが 負けず嫌いと粘りの気質はいい方に発揮したりもした。
顧客が増えてくるとブライダルや婚活の仕事もするようになり、また通夜や葬儀に顔を出す機会も多くなりました。
生まれてきたからには必ず最後のセレモニー。
家族葬で最低の祭壇でいい、と仰っていても世帯主様の葬儀となると やはりご家族様のお気持ちで祭壇がグレードアップになったりしました。
何人もの棺の中の故人様と対面し手を合わせご冥福をお祈りした。多くの魂の旅立ちに携わる、これも中々ない経験ではないでしょうか。
人によっては霊感が強かったり、こういうのはあまり好まないとこの仕事が続かなく辞めていったり。
同僚から「あなたは お子さんを亡くされて、葬儀に携わる仕事は思い出したりして辛くないの?」と言われましたが辛くはなかった。ご葬儀中は遺影の故人様を偲んで胸がいっぱいになった。むしろ私の経験が、ご遺族様の哀しみに少しでも寄り添えるのであればと思っていた。
入社2年間は夫も同時に転職し不安定だったこともあり、性根を据えて働いた。扶養控除を超えてしまい難儀でした。3年目からは扶養控除内にと働き方を変えたので成績も調整しながらになった。
でも、営業職はやっぱり大変でした。私には口説く力量もなく、興味のない人にいくら話しても無駄なので見極めも大事だった。興味のある人、必要とされている方と いかに出会えるか宝探しみたいなものでした。
3年の間に何人か所長が交代になった。そして新しい方が来られました。その方を巡ってまたこれまでにない経験をすることに。四角関係って。。。
そんなのドラマでも滅多にないような ^^;
次回へ続く。