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進撃の巨人とつながる物語 part.2


part.1 から引き続き、私の限られた物語体験のなかで、進撃の巨人と通ずるものを感じた作品について好きなように好きなだけ書いてみました。

どなたかと共有できる何かがあれば嬉しいです💐

本当に引くほど長くなってしまったので笑、気になるところだけでもぜひ覗いてみてください。


進撃以外の物語のネタバレは「🌼」
進撃のアニメ未公開部分のネタバレは「🕊」を目印にしています。ご注意ください。



生きる意味について


ソウルフル・ワールド

作品全体の雰囲気やストーリーはまったく違いますが、最終的にたどり着いた答えにとても通ずるものを感じました。

こちらももう何を言ってもネタバレになってしまうので、ぜひ観てみてください!笑 進撃との繋がりを別にしても、本当に素敵な作品です。


🌼🕊 以下ネタバレ。簡潔にメモしておきます。






原作 137話「巨人」でアルミンが語ったこと。ジークの気づき。アルミンが手にした葉っぱやそれにまつわる情景、記憶は、まさにソウルフルワールドの木漏れ日のシーンと重なります。人が生きるということの、本当の意味について。


-------------- ネタバレここまで --------------



ライフ・イットセルフ 未来に続く物語

こちらもストーリーや全体の雰囲気は進撃の巨人とはまるで違いますが、この映画のたどりつく結論に、エルヴィン団長の言葉を思い出しました

こちらも、進撃との繋がりは別にしても大好きな作品です。人生の意味について考えさせられる、本当に素敵な映画でした。


🌼  以下、ふわっとネタバレあり。明確なネタバレは避けています。






エルヴィン団長の、この台詞を思い出しました。

どんなに夢や希望を持っていても、幸福な人生を送ることができたとしても、岩で体を打ち砕かれても、同じだ。人はいずれ死ぬ。ならば人生には意味が無いのか? そもそも生まれてきたことに意味は無かったのか? 死んだ仲間もそうなのか? あの兵士達も… 無意味だったのか? いや違う‼︎ あの兵士に意味を与えるのは我々だ‼︎ あの勇敢な死者を‼︎ 哀れな死者を‼︎ 想うことができるのは‼︎ 生者である我々だ‼︎ 我々はここで死に、次の生者に意味を託す‼︎ それこそ唯一‼︎ この残酷な世界に抗う術なのだ‼︎

第80話「名も無き兵士」より

また、とある登場人物が迎える悲しい結末は、エルヴィン団長に奮い立たされ勇気をふり絞ったけれど、最期のさいごには、

ヒッチは今頃何を… イヤ… あいつはまだ寝てるか… あぁ… いいな

第81話「約束」より

と思いながら死んでいったマルロと重なります。たとえ〈大きな物語の一部〉として死後に意味を与えられ、昇華されたとしても、かれら自身が絶望のなか死んでいった事実に変わりはないこと。人生に意味を与えられるのは生者だけ、ということからは、深い感動とともにそうしたやるせなさも感じてしまいます。

また、ある登場人物が、人生は「信頼できない語り手」の物語だと言うのですが(信頼できない語り手:物語における叙述トリックの一種。語り手の信頼性を低めることで、ミスリードなどを促す手法)この考え方は、たとえばエレンの祖父、グリシャ、ジーク三世代の物語を思い起こします。とくにグリシャから見た過去とジークから見た過去の違いについて。誰もが偏ったものの見方、記憶の仕方をしているということ(良い意味でも悪い意味でもなく)。人生はどこまでも自分の解釈で受け入れられる(=信頼できない語り手の)物語なのだとつくづく思います。そのどれもが正しく、その人にとっての真実であるからこそ、世界はこんなにも複雑なのかもしれません。


-------------- ネタバレここまで --------------



夜と霧

ノンフィクションなので、物語とは呼べないかもしれませんが。心理学者である著者が実際に経験した、ナチスドイツによるユダヤ人迫害、強制収容所での生活について語られた名著です。

進撃の巨人のアニとお父さんの関係性を見ていると、著者フランクルの妻への思いに関する記述を思い出しました。(❄️)

また、私はたしかこの本を通してサバイバーズギルト(生き残った者が抱いてしまう罪悪感)を知ったのですが、進撃の巨人でライナーやベルトルトに対して開拓者の男性が語ったエピソード(原作96話)と、その物語を自身の体験として語ったベルトルトの言葉では言い表せない心情(原作16話)も、深く心に残っています。


🌼 以下、❄️ についてネタバレです






著者フランクルは、ある日雪の中を何キロも行進させられながら、ふと「妻と語っているような」気持ちになります。

妻が答えるのが聞こえ、微笑むのが見えた。まなざしでうながし、励ますのが見えた。妻がここにいようがいまいが、その微笑みは、たった今昇ってきた太陽よりも明るくわたしを照らした。

ヴィクトール・E・フランクル著、池田香代子訳
『夜と霧 新版』60頁

そのとき、ある思いがわたしを貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てにたどり着いた真実、何人もの詩人がうたいあげた真実が、生まれてはじめて骨身にしみたのだ。愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。(中略)人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地にされるということを、わたしは理解したのだ。

同上、61頁

フランクルはその後、「妻がまだ生きているかどうか」自分は何も知らないことに気づきます。けれどすぐ「肉体が存在すること、生きてあることは、まったく問題の外なのだ」と思うのです。

それはいっこうに、わたしの愛の、愛する妻への思いの、愛する妻の姿を心のなかに見つめることの妨げにはならなかった。もしもあのとき、妻はとっくに死んでいると知っていたとしても、かまわず心のなかでひたすら愛する妻を見つめていただろう。

同上、63頁

意味合いやトーンは少し違ってくるかもしれませんが、悲惨な現実のなか〈父の元に帰る〉というその一点を頼りに生きるアニを見ていると、フランクルの言葉を思い出さずにはいられませんでした。父親から見たアニの存在も同じです。互いに互いの無事もわからないまま、それでも〈もう一度会えること〉を頼りに生き抜こうとするふたりを見ていると、愛する人が心の中にいるということの力を思いました。

私には… 帰りを待つ父親がいる。そして… 私と同じように他の人にも大事な人がいる… もうすべてがどうでもいいとは思わない。私はこれまでに取り返しのつかない罪を犯したと思ってる。………でも、父の元へ帰るためなら、また同じことをやる。

第125話「夕焼け」より

ものすごく余談ですが、私が進撃の巨人に心を鷲掴みにされたのは、アニメ22話で女型の巨人の涙を見たときでした。その後、帰ってきてほしいという誰かの声がリフレインする描写で完全に深みにはまりました。物語にぐぐっと引き込まれた瞬間でした…🥲


-------------- ネタバレここまで --------------



戦争 | 暴力の支配する世界で


硫黄島からの手紙 / 父親たちの星条旗


クリント・イーストウッドによる「硫黄島プロジェクト」二部作。第二次世界大戦下の硫黄島での戦いを、日米双方の視点から描いた作品です。

「硫黄島からの手紙」は日本視点、「父親たちの星条旗」はアメリカ視点。どちらもそれぞれに良い映画ですが、やっぱり続けて観ることで厚みが変わると思います。

言わずもがな、進撃のマーレ編とそれ以前の物語の対比と重なります。視点が変われば、正義も変わる。壁のこちら側と向こう側の世界。絶対悪であるはずの敵が、自分たちと同じ人間であることに気がつく。悪魔なんてどこにもいなかった敵にだって祖国があり、愛する人たちがいる。戦争に〈本当の勝利〉なんて存在しない…… あたりまえかもしれませんが、どれも本当に大切な考え方です。人間同士の争いを避けるために、何より大切なのは想像力ではないかと私は思います。



影の獄にて


映画「戦場のメリー・クリスマス」の原作。映画も素晴らしいですが、小説ではより深く広く人間について描かれています。

進撃の巨人とストーリーはまったく違いますが、全体的なトーン、暴力の支配する世界で人間の本質を見つめるまなざしに、通ずるものを感じました。また、映画にもなっている、日本軍軍曹ハラと捕虜である英国軍人ローレンス、日本軍大尉ヨノイと捕虜の英国軍人セリエ。かれらの間に芽生えるふしぎな絆は、ウーリの言葉と通ずる何かを感じるのです。

「ケニー、この世界はそう遠くない未来必ず滅ぶ。そのわずかな人類の黄昏に、私は楽園を築き上げたいのだ。お前は暴力を信じているな? それは避けがたいこの世の真実だろう。だが… 滅ぼしあう他無かった我々を友人にしたものは、一体何だ? 暴力か?」「…はッ、知らねえよ。ただお前にバカでかい腕でつまみ上げられなければ、俺は… お前の頭にクソ詰め込んでただろうな。それこそ “友人” とやらになる前によお」「ああ… 避けがたい真実だ… それでも私は、あの時の奇跡を… 信じている」

第69話「友人」より

(進撃の巨人のなかで、ウーリのこの台詞がいちばん好きです)

絶版になっているのが残念ですが、私は図書館で読みました。本当に素晴らしい作品なので、未読の方はぜひ一度探してみてほしいです…!


🌼🕊 以下、ネタバレご注意ください。






この作品では日本軍による捕虜への虐待が描かれますが、物語の終盤、終戦を迎えたあとでは立場が逆転します。こんどはハラやヨノイが戦犯として牢屋に入れられるのです。これは、進撃の巨人の以下の台詞を思い出させます。

…たぶん順番が来たんだ。自分じゃ正しいことをやってきたつもりでも… 時代が変われば牢屋の中。

第126話「矜持」より

〈正義〉とは、それほど脆く、虚しいものなのだということ。また、こんな台詞があります。

「ぼくらは、いつも、手おくれでなければならないのだろうか?」

L.ヴァン・デル・ポスト著、由良君美・富山太佳夫訳
『影の獄にて』48頁

これは超大型巨人による地鳴らしを止められなかった、あれだけの惨劇が起こるまで —— いや、あの期に及んでもまだ争いをやめられなかった人間たちの姿と重なります。

…この責任は、我々すべての大人達にある。憎しみを利用し、憎しみを育み続け、憎しみに救いがあると信じ… 我々が至らぬ問題のすべてを「悪魔の島」へ吐き捨ててきた… その結果… あの怪物が生まれ… 我々が与え続けてきた憎悪を返しにきた… もしも再び… 未来を見ることが叶うなら… 二度と同じ過ちは犯さないと… 私は誓う。再び… 明日が来るのなら…

第134話「絶望の淵にて」より

そして、(小説では)生き残ったヨノイ大尉が、亡くなったセリエの髪の毛を故郷の神社に祀るのですが、そのときに以下の詩を詠みます。

春なりき。
弥高いやたかたまかしこみ、
討ちいでぬ、仇なす敵を。
秋なれや。
帰り来にけり、祖霊前みたままえ、我れ願うかな
嘉納おさめたまえ、わが敵もまた。

L.ヴァン・デル・ポスト著、由良君美・富山太佳夫訳
『影の獄にて』188頁

敵味方を越えたふたりの友愛を、これほど美しく詠んだこの詩が本当に好きです。暴力にあふれた世界で私たちにできる唯一のことは、誰かを心から愛することなのかもしれません。

妻でも子供でも街の人でもいい。壁の中で人を愛せ。それができなければ繰り返すだけだ。同じ歴史を。同じ過ちを。

第89話「会議」より

世界は残酷だ それでも君を愛すよ

ヒグチアイ「悪魔の子」より

戦後、戦犯として死刑を求刑されたハラのもとをローレンスは訪れるのですが、その面会からの帰り道、彼が頭の中で巡らす思いにもとても心揺さぶられました。私にとって大切な一冊です。


-------------- ネタバレここまで --------------



バンド・オブ・ブラザーズ


言わずと知れた、戦争ドラマの名作。この作品で描かれる、祖国のために戦った人々が見方によっては英雄にも悪人にもなり得る、それが戦争なのだということは、進撃の巨人でも描かれる正義と悪のねじれです。また、ピークちゃんのこの台詞も思い出します。

私はマーレを信じてない(中略)ただ… 私は、一緒に戦ってきた仲間を信じてる。

第116話「天地」より

進撃との繋がりなんて関係なくとも、本当に素晴らしいドラマシリーズです。同シリーズの『ザ・パシフィック』も大好きでした。



戦争の歌がきこえる

ノンフィクションですが、こちらも素晴らしい一冊。音楽療法士である著者が、アメリカのホスピスで見届けた、第二次世界大戦を生き抜いた人々の最期について描かれた本です。

生身の人間の経験を、フィクションと同列に語ってはいけないのかもしれません。私は物語の力を信じていますが、やっぱり生の声にはフィクションには持ち得ない特有の重みがあります。ただ、進撃の巨人で描かれたことはこういう感情だったのかな、とふと思い出したのも事実です。

「日本の人々や文化がとても印象に残った。日本人も僕らも、そんなに変わりはないと知った」
 それは一般市民のことなのか、それともフィリピンで戦った日本兵のことなのだろうか。もしくは両方について言っているのだろうか。
「戦争に送られる前、日本人はアメリカ人とまったく違うと教えられていたから……。でも、実際はそうでなかった」
 戦時中、アメリカ国内ではさまざまなプロパガンダが存在した。日本人は信用できないという理由から、一一万人以上の日系アメリカ人が強制収容所に送られたことはよく知られている。アメリカ軍の内部では、日本軍は「危険」で「不合理」で、しかも命を重んじないという印象が根強くあり、そのイメージは「バンザイ突撃」や「特攻隊」などによってさらに強まったという。
「日本兵は命令されたことをやった。それは僕らだって同じだ。それだけのことなんだ」

佐藤由美子著『戦争の歌がきこえる』59頁

「ベトナム戦争のことをずっと考えているんだ……」
 突然、彼は手を伸ばし、私の手首をつかんだ。
「僕はベトナムで枯葉剤を撒いたんだ!当時は枯葉剤がなんなのか知らなかった」
 ヘンリーは声を上げ、何かを訴えかけるような目で私を見た。(中略)
「自分を許すことができないんだ……」
 ヘンリーはベッドに沈み込み、子どものように泣いている。
「当時、何歳だったんですか?」
「一八歳……。徴兵されたんだ」
 彼は涙を流しながら答えた。
「あなたはただ、命令されたことをやっただけです」
「でも、今考えればカナダに行って徴兵を逃れることだってできた。なのに僕はそうしなかった……」(中略)
「あなたはまだ一八歳だった。戦争がどんなもので、何をさせられるかさえ知らなかったでしょう」
「司祭にも同じことを言われた。でも僕は、自分のしたことが許せないんだ」

同上、83頁


また、進撃の巨人では〈過去の人々が犯した過ちは誰によって償われるべきなのか。同じ民族である現在の人々によって償われるべきなのか〉という問いが掲げられます。私はこの本を読んで、実際に日本人が過去に周辺国に対してどのようなことを行なったのか、自分がほとんど何も知らないことに気がつきました。

もし、ここで歴史の話になったらどうする? それが怖かった。過去にアジアの国々で日本軍が行なったことについて、彼らが私を責めることはないだろう。ただ、私がその過去について「知らない」という事実をどう説明したらいい? 今思えば、当時の私は無意識に、日本とアジア諸国の歴史そのものを避けていた。

同上、209頁

私も同じです。無意識に日本軍による加害の歴史は避けてきたように思います。最近よく思うのですが、人は加害者になることを本当に嫌う生き物なのではないでしょうか。よく「やった方は忘れてもやられた側は忘れない」と言われたりしますが、本質的には、やられたことよりやってしまったことの方がキツいのではないでしょうか。だから、自分こそ被害者なのだと思ったり、目を逸らそうとしたり、逆に罪の意識に潰されてしまったりする。 ……そんなことを考えていると、ドラマ『カルテット』の台詞を思い出しました。

「ま、大概の犯罪者は、自分を被害者と思うことからはじまりますけどね」

第9話より

エレンを見ていると、ふしぎにリンクする台詞だと思います。たいがいの加害者は、自分を被害者だと思うことから始まる。同時に、朝ドラ『ひよっこ』の以下の台詞も思い出されます。

でもな、人間は、やられっぱなしじゃ生きていけないんだよ。そういうもんだって、俺は思うんだ。無理もないところもあるんだ。だから余計に、悲しいし、嫌なんだよ。

第11週、65話より

 ……なんだかどんどん話が逸れていってる気がするので、この辺で終わりにします。笑

こちらも、進撃との繋がりを別にしても、本当に出会えてよかった一冊です。



風の谷のナウシカ


この作品のテーマの一つ、争いをやめられない人間の愚かさは(とくに後半の)進撃の巨人を貫くテーマでもあります。そうした人間の弱さから目を背けない真摯さに通ずるものを感じています。また、暴力ではなく対話によって分かり合おうとするナウシカを見ていると、アルミンやハンジさんのことを思い出します。

言わずもがな、王蟲が大群で迫りくる光景は地鳴らしのシーンと重なりますね…… そして、それに対抗できる唯一の力についても。


🌼🕊 以下、ネタバレあります。






わざわざ言葉にする必要もないのかもしれませんが…… 風の谷のナウシカと進撃の巨人、どちらも最終的な答えが〈愛〉にあるところが同じだと思いました。王蟲の暴走を止めた、ナウシカの深い慈愛。エレンの暴走を止めた、ミカサの無条件の愛。人間の言動はすべて、突き詰めれば〈愛〉と〈怖れ〉のどちらかを動機にしているといわれています。そして両作品とも、結局〈愛〉より強いものなんてこの世にない、と思い出させてくれるところが大好きです。

また、マクロの世界(国と国、民族と民族)では分かり合うことが難しい私たちも、ミクロの世界(あなたと私)でならなんとか分かり合える。そこからすべて始めていけばいいのかもしれない。そう思わせてくれるところも似ています。ナウシカとアスベル、ペジテの女性たち、子王蟲。ガビとカヤ、ナイルさんとファルコ、キースさんとマガトさん…… それぞれの思いやりや決断、理解が積み重なり、あのラストに繋がると思うのです。

進撃を観ていると、読んでいると、正義って何だろうと頭を抱えたくなりますが、ナウシカこそ正義を体現した人だと思います。ナウシカほど、光の人ってなかなかいないですよね…… 〈怖れ〉ではなく〈愛〉を動機にすること。本当の正義とはそれによって自らも深く傷つくものだということ(これは、やなせたかしさんも書かれていたことです。part.1参照)。アルミンの、

何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人はきっと… 大事なものを捨てることができる人だ。

第27話「エルヴィン・スミス」より

にも通じます。厳密には違う意味合い(いろんな読み方ができるので)かもしれませんが、自らの傷や痛みをいとわず愛に生きるナウシカを見ていると、それだけの覚悟なくして正義なんて行えないのだと痛感しました。

うーん…… いつまでも語ってしまいそうなのでこの辺でおしまいにします。やっぱりどちらの作品も、本当に素晴らしいですね…😭


-------------- ネタバレここまで --------------



番外編


ハリー・ポッター


私はほとんどすべての物語は〈愛〉によって完結するのではないかと考えています。友情や真心、他者への理解、寛容、思いやりを含む、広い意味での愛のほかに答えなんてあるのかな?って。

—— そんなふうに急に主語が大きくなってしまったので「番外編」にしました。笑

そういうことを初めて教えてくれたのが、私の場合、ハリーポッターでした。この物語の、どんな強大な魔法より愛が強い、というところが本当に好きです。

進撃の巨人を見守りながらずっと、どうやって完結するんだろう、お終いにするんだろうと考えていましたが、やっぱり愛しかないんだなあ、とあらためて実感しました。



日本人が反日デモでフリーハグをしてみた

ここまで書いてきたいろんなこと(国同士、民族同士では複雑で分かり合えない私たちも、私とあなた、目の前の相手とならなんとか分かり合えるのかもしれない。そこからすべてを始めていけばいいのかもしれないということ。きっと広い意味での愛にしか答えはないのだということ)を、目の当たりにしたような動画です。

フィクションや物語の外の世界で、現実に実感できてとても嬉しかった。日本語と韓国語の温かい言葉が並ぶコメント欄も本当に素敵です。何より危険もかえりみず、自分の身体を使って証明しようとしたくわまんさんの姿勢に感動しました。

この流れでどうしても紹介したかったので、貼らせていただきました。



おわりに


“ 地下水脈 ” でつながる物語たち


進撃の巨人とここに挙げた作品にかかわらず、素晴らしい作品たちは往々にしてどこか似通っている、同じようなところにたどりつくような気がしています。描き方や表現方法がちょっとずつ違うだけで、よく目をこらせば、耳をすませば、みんな同じようなことを語っている。

精神科医の泉谷閑示先生は、個人の「経験」をそれぞれの地点から深く掘り下げていくと、やがてみんな同じ「地下水脈」にたどりつく、と書かれています。

 この地下水脈まで到達した人はみな、時代も専門も超えて、何か共通するものを感じ取っています。ですから、ある人は画家であったり、詩人であったり、哲学者であったりしますが、地下水脈から汲み取ってきている人は、みな同じことを言っています。

『「普通がいい」という病』202頁

物語も同じかもしれません。いつの時代も変わらず愛され続ける物語が「普遍的な物語」と呼ばれるのも、きっとそういうことです。

これからも、いろんな物語にふれ、もっともっといろんなことを感じ取っていきたいです。そしてそのたびに、やっぱりそうだよなあって「地下水脈」の存在を感じられたら嬉しいです。



以上、私の限られた物語体験のなかから、好きなように好きなだけ書いてみたnoteでした…!

こんなにも長くなってしまったので、ここまで読んでくださった方なんているのかなあと思いつつ笑、海に投げ入れるメッセージボトルのようなイメージで、このまま公開します。

もしも、いつかどなたかの目に留まり、何かを共有できれば嬉しいです。ここまで読んでくださった方がいたのなら、本当に本当にありがとうございました😭☺️🤝🏻


進撃の巨人と素晴らしい作品たちに、感謝と愛を込めて。


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