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前例主義アドホリック

あるオンラインサロン的なものを右の耳から左の耳へ消えていくような形で流していたことがあります。その中でなぜインフルエンサーを広告状態にならせるのかみたいなことについて考えた。ヘッダ画像をお借りしています。

そこである成功者がモットー的に、習慣的に、ルーティーン的にしていることは真似すべきであるという考えが披露された。いつもならさらっと見逃すんだけどこの時は「なんで真似しなきゃならんのだろう」と思った。

それは「成功者がやっていることを取り入れたのであれば、そりゃ正しい結果しか導かないんだからすべきだ」的な考えが正しいのか?と思えてしまったためでした。

これはかなりの前例主義なわけです。

成功者    ぼく(左を見た)
 ↓        ↓
習慣  →  習慣のコピー
 ↓        ↓
正しい   成功者のコピー

この一番左上の成功者とはもとから成功者だったわけでなく、「正しい」の位置に来て初めて成功者となったわけですが……

ある問題があった時に、以前同じことがなかったかどうかを探すのが一般企業とかによくあります。そんなクレームいついつと同じパターンだろうが、そんなことに金と時間を使うな、と。

果たしてそのようにクレーム処理したり、トラブル回避したりする人々といいますか企業とか組織って……成功者になっているでしょうか?つまり前例主義が機能している場所には成功がリザーブされることはないのではないでしょうか?

新人を入れてやらせることといえば、コピーを育てる事ばかりの企業って多い気がする。

フレームワーク踏襲型ですね。「これで失敗しないから」と。「1番売ったやつがこれしてたから真似しろ」と。

再現性とか勝ちパターンとかって、完全に個を殺しにかかってますね。

前例主義を推し進めてしまう背景には判例主義みたいなのもありそうです。法令集だの何だのには載ってない事柄に対して、過去に考えに考え抜いて判決を出した人(最高裁裁判長とかですかね)の答えを脳死コピーしてお届けする。

法令集に載ってないことはその場その場での個別対応が必要なことが多いと思うんだけど、脳死コピーに及んでしまう。

これはそもそも法律が「人をぶっ殺したらアウト」という項目を載せており、裁判官の目の前に人をぶっ殺した奴がいたら、脳死でハイこいつアウトーと言っていいことからも察せられる通り、教科書とか法令とか、もうそれが答えだから脳死で従えるように造られているわけです。

正解か間違いかが学校で問われるのは、いつでも脳死で正しい方を判断できる奴になれという育て方がしたいがために、またそこで施す教育が間違ってたらまずいから、なんなら馬鹿な教師でも脳死で教えられるから最初に足し算を教えるようなものと言えるでしょうか。

ここになんかすごい無謬性を感じてしまう。トップは決して間違えない、というやつですね。ロシアはウクライナを消すことが正しいと思うような奴、中国共産党はなんら間違ったことをしないと信じ込むあの感じですかね。

成功した人のやったことは全部正しいのか。だから真似して然るべきなのか……少なくとも真似したそれが、脳死でできてしまうものだった場合、マジで身についてくれるのか?暗殺術を叩き込まれて、漫画のようにシームレスに曲がり角とかですれ違った人に一瞬でナイフか何かを確実に躊躇いなく刺せる技術なんて実践なしで身につくのか。

脳死じゃないんでしょうね。成功した人がしたことをなぜやらなあかんのかを、真似する時点で体系的に学び取らねばならない。脳死で真似しても何らかの反射神経が身につくのかも知れませんが……どういう時に使う技術なのか、また何のために要るのかが分からずに魚の三枚おろしを身につけて、その先どうなるのか、恐ろしい速度で走れるようになって、それを何に使うのか。使い方がわかってないと、そちらのベクトルに今の力を合わせるチューニングとかしないといけない気がする。

なんかまともになってしまったのでこのへんで……

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中村風景
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