どうしてSNSでは相手の上位に立ちたがる人がいるのか
ヘッダ画像をお借りしています。当初SNSが人を殺すのか、SNSに人が殺されるのか、という題にしようと思いましたが画像をお借りした以上そうはしづらいなと思ってやめています。続きを書く時にそうするかもしれない。
平和なSNSとは
殊SNSにおいては、別に普通に好きな物事を書いたり自分の体験を書いたり貼っつけたりすれば平和だと思うし、ぼくも使っていた頃はそうしていました。
いたんですが、何かこう……「誰かを傷つける」とか、「貴様だけの正義を都合よく用いて、その正義に少しでも反する者がいればぶちのめす」とか、「重箱の隅へ猪突猛進して、なにかの不手際を見つけ出し音を上げるまで燻す」みたいなジャンルが嫌でも介入してくることがあるんじゃないかと思います。
不快のお裾分け
自分が求めてないのに関係性がある者がシェアしてくる、なり、ご意見を表明する、なり……目にさせられてしまう。前者はシェア機能をOffればいいだけですが、個人が発信しちゃうと切りづらい。
これは「不快のお裾分け現象」と言われるもので、ぼくが当時勝手に名付けました。もちろん他に似たような言い回しを遣っている人もいるかも知れない。
またSNSは自分が好きなものを何か表明しておかなければならず、本来であれば人間にはタグ付けなどできないものの、「俺ってこういう属性っすよ~WwWww」みたいに周知しないといけない。
以下のように、「いけない」とはぼく自身は思っておりませんが……
上記の「不快事象シェア」も、いうなれば「わたくし、こういう問題に切り込んじゃうタイプですの。ゆめゆめ覚えておいておくんなまし?」または「あてくしの前でこの話をするということは、わたくしにこてんぱんにやられても文句は言えないという開戦の合図でしてよ?」という意見表明なのかも知れない。知ったことではない。
言葉の力に囚われ(隷属し)ていないか?
悲惨な事故、事件の被害者に猛烈な罵声を浴びせて、法的な対処をされた途端、子犬のように縮こまる人がいます。
SNSって文しかないんですよね。文て普段あまり目にしていないと(あるいは目にしていなくても)ひとつひとつの言葉が良くも悪くも非常に研ぎ澄まされた刃物のように見える。
センシティブな感覚をお持ちの方であれば、よりその傾向があるかもしれない。心が繊細だから、額面通り、額面以上に受け取ってしまう。
そんな人が刃物を一度でも向けられたのなら、じゃあ今後は俺もそのように言葉を返してやろうと思ってしまうのかも知れない。俺がそうされたんだから俺より後の連中に(後の連中とはどういう定義だろう?後に生まれた人?後からSNSに登録して参加する人?だとしてしょうもないですが……)なら同じことをしてもいいという復讐バイアスがかかっている。
最悪な洗礼みたいですね。ハンターハンターの天空闘技場を思い出してもらえると良いかも知れない。
そんな人同士で形成されるSNS、さらにはより匿名性が強い場所では単純に他者より目立つため、場末にいながらにして「俺は場末にいる連中とはわけが違うのだ」とでも言うように、より恐ろしい、威圧的な単語を使ったりする。それはネットスラングとか呼ばれるものへ進化(良い進化ではない)して、SNSへも流入したりする。
ネットスラングとは、簡単に、かつ恣意的に「他者と違うのだ」を簡単に示せるツールだとある1視点から定義します。自分が居るフィールドとは、文字しか使えない場所である。まさにそのフィールドで使うことを約束されたようなツールが手に入った。すると……
また続きを書きます。それでは良い週末をお過ごしください。
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