TVアニメ「PUI PUIモルカー」第6話 ゾンビとランチ 感想 産まれてきたすべてのこどもたちへ
ぼくは日頃からモル感(モルカー感想)とモル予(次回のモルカー予想)を書いており、最新6話目についての予測はこちらに書きました。
自走式ガトリング装甲車と化したモル、そして彼女たちが戦う/襲われる理由についてふわっと書かせていただきました。もはや予想という体を為していない。
ゾンモル
また、本見(本格的に視聴行為に及ぶ)前に上記設定絵を見てしまいました。モルたちに一体何が……と神妙な気持ちになっております。
一般的にゾンビとは「終わってしまった生命が何らかの外部意思によって体躯を乗っ取られた状態」。宗教に依っては生命の冒涜と言いますか、「死の尊厳」を著しく損なう状態のように感じますね。
生命活動を終えてしまい、遺体としてそこに残るということは新陳代謝がおこなわれなくなったなまものが置き去りにされているということであり、仮に遺体が人体であるとするならば細胞組織が結合するための力が失われて、簡単に遺体が損壊してしまう状態であるということ。
葬儀について
死の尊厳について考えるため、人間特有のイベントである「葬儀」について考えます。
葬儀とは、生命活動を頻繁に─────もともと生命活動とは「頻繁」か「無」かのいずれかしかありませんが─────おこなっていた頃の故人のありのままの姿で執り行われることが第一義的であるとされる。
すなわち棺に故人が押し込められ、「永眠=寝ている状態」および「新たな世界に旅立ち、肉体を置いて、より高次元な存在となった」というように理解され、人々は故人を惜しみ、偲び、想いを馳せる。
そのような状況において、遺体の損壊という行為はほぼほぼ望ましくない事象となります。何か故人に対して外的な力が加えられていると明らかにされてしまった状態は故人の意思に反すると捉えられがちになってしまう。葬儀の参列者とは往々にして故人の味方である、さらには偶像崇拝をおこなっている者とすら見做されることがあります。つまり遺体の損壊とは故人の尊厳破壊=「死の尊厳」を著しく傷つけていることに他ならない。
上記の通り「ゾンビ」という状態は「その個体が生前いかほど愛されていたか」に比例してその故人および関係者に無礼極まりない環境を創り出しているということになる。
ゾンビ映画やゾンビゲームであっさりと主人公たちの眼前に絶望を叩き込む彼らは、ゾンビとして起き上がった瞬間に主人公の妨害という意味だけでなく生前の彼らの家族や友人たちをも傷つけていることになりますね。
モルカーにおいてはどのように捉えられるのでしょう。
モルカーの「襲われ」
恐らく真剣に逃げていると思われるモルカーは四足歩行であり、前話からも類推されるように競技としてのレーシングイベントが成立するほどの速さがある程度保証されているものと考えられる。
でありながら、その全力疾走するモル2人を元人間のゾンビと思われる集団がほぼ同速度で追いかけています。これだけで冒頭からどれだけの異常事態が発生しているのかを視聴者は推し量ることが出来ますね。
しかしながら廃屋かプレハブに逃げ込んだだけで、道端に落ちていたものは何でも食べてしまっていたあの危機意識の少ない褐色モルがガトリング砲やバルジ装甲を身体に─────どのような形かは不明ながら─────フィットさせた状態で一瞬で登場し、これもまたどういった原理なのかは皆目見当もつきませんが自由意志で発砲し、ゾンビ集団を一掃する。
一掃というか追いかけながら掃射しており、ゾンビの体躯が損失しないままでいられるのはなぜなのかという恐ろしさが得られたり、および意識や意思を持たぬ肉塊と化すことで持ち主の尊厳を傷つけるはずのゾンビがガトリング掃射を恐れて逃げるというような描写と見て取ることもできるわけで、ぼくらは真夏の砂漠の暑さに思いを馳せることになります。
砂漠の真ん中にレストランは建っていない
このサブタイトルは日本のロックグループであるSHERBETSのシングル「BLACK JENNY」のB面、「Baby Gun」のコーラス部分で歌われる歌詞についてオマージュしたものです。
砂漠の真ん中に建ってるレストランでバイトしたいぜ oh my baby , baby gun.
砂漠のど真ん中にレストランを建てても恐らく繁盛しない。
今回のモルカーのように舗装された道路がある望みは薄く、空路からアプローチするにも砂漠にはこれといった目印は有りません。つまり来客の見込みは望めない。
過去の家庭用RPGとしてリリースされたMother2でも砂漠には砂しかなく、その中に大切なものを落としてしまったが最後、二度とは見つけられないだろうと言った一般常識を逆手に取ったイベントとして、砂漠のマップ内でコンタクトレンズを探させたり、砂漠マップのどこかに1ドットそこらでしか描写されていない白い胡麻と黒い胡麻を探させるという皮肉めいた内容のものが存在します。
そのぐらい砂漠には絶望が伴われている。
恐らく求人などされることもなさそうです。それでも砂漠に建てられたレストランで働くメリットがあるとすれば、来客数が少ないことが見込まれるため営業時間内にそこまで疲れずに居られるだろうということ。
そのためオレンジモルは移動販売バーガーショップという「自由度が保証された」形式であくせく移動しているのでしょう。
彼(?)が褐色モルやゾンビ群との争いに巻き込まれて商売道具を落としてしまうことが話の転機となる。いつしかゾンビとモルの「襲い合い」は鳴りを潜め、突如到来した食べ物=燃料をどちらが制圧するかという点に主題が移り変わっています。
つまり上記のように考えたことはすべて取っ払われた状態。これこそが紛れもなくモルカー製作者さんの手腕であり、何も考えずに楽しめるエンターテインメントとして成立する。
このように話が展開するから、視聴者はモルカーに引き込まれる。
ぼくは6話目を最後まで見終わった後、「それで良いのかよ!!!!!!」とかなり真面目に思いました。そこまで思わせてくれるエンターテインメントがかつてあったでしょうか。相変わらずモルカーは家庭での生活を楽しませ、人々が生きる原動力となっています。
後記
いつものように、結末まで語ってしまうことはあまりにも無粋なためこのあたりで終わります。お付き合いありがとうございました。