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フィクション街道五十三次
打ち合わせ場所に置かれていた週刊文春にはこちらが少しも求めていない情報ばかり掲載されていた。
無理やり引っ張り出されて無理やり陽の目を浴びせかけられた情報たちにはどのような価値があるだろう。僕にはわからない。
人についての情報はその人の個人情報みたいなものを赤裸々にするだろう。まるでむき出しの粘膜のようにその人の弱点であることは想像に堅くない。
情報は剥き出しであればあるほど第三者から喜ばれる。世界でたったひとりにとっては弱点だがそのひとり以外の全員からはエンターテインメントとして扱われ、ボロ雑巾のように消費されるはずだ。
例えば歌舞伎町を歩けば、どこで消費されたのかわからない紙屑がそこら辺に落ちている。落ちているのは「使われ終わった」から。
落ちているのにも関わらず、誰の手にも渡らない理由は「価値がなくなった」から。あるいは新宿区のその地区に清掃員が不足しているから。
大切な情報は勝手にエンターテインメント化されて秒速で紙屑以下の価値になってしまうが、人の記憶に永久に残り続けてしまう。
紙屑が新宿の歌舞伎町に落ちていたことは誰も覚えていない。
気が狂った車が突然通り過ぎて紙を乱暴に轢き殺しても、児童が零したかき氷の水が溶けて紙をぼろぼろにしても、掃除しずらくなった以外の効果は生み出さない。
やがて裏口からマクドナルドの店員がやって来、廃棄物をダストボックスに入れ替えて裏通りに舞い落ちた紙をさらに踏んで傷つけることだろう。僕は沖縄にいながらにして歌舞伎町の人々の居住空間について思う。その多くはお節介なことだった。
浮かれて家に帰る人達が自分の鼻や口を外気からは守らずに歩いている様子が見える。僕は自分の平和について考える。インナーイヤー・カナル型イヤホンからは90年代UKロックが流れてきた。僕は彼らの平和についても思いを馳せた。
新宿コマ劇場を後にするコメディアンについて考える。彼らの職業は笑われることなのか笑わせることなのか、自分たちを笑う観客を笑い返しているのかについて考える。
アイドルに憧れるあまり売春に身をやり、ポスターや団扇を買う少女のことを考える。彼女の手には致死量の覚醒剤が握られており、いつでも客の財布から札束を奪い取る準備ができている。
覚醒剤で殺害された男の家族について考える。やがて彼の子供たちは真新しい制服を身にまとい、着実に社会参画の機会を得るだろう。死んだ彼の遺産によって。
やがて黒人のSPが登場し、僕の名前を呼んだ。
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