アメリカン・ギャングスターは現代のゴッドファーザーだ
デンゼルワシントンのアメリカン・ギャングスターを見る。ヘッダ画像をお借りしてまし。
見たのは23時間ぐらい前でしたでしょうか。もうなんていうんですかね。下のぼくの映画生の寄せ集めを見てもらえばわかるでしょうが、デンゼル・ワシントンには並々ならぬ思い入れがある。
デンゼルが出るなら見る、ぐらいの心持ちが今やある。映画の文の寄せ集めの最初期なんて、出てる奴で映画なんか見るかよぐらいの気持ちだったが、デンゼルが出てて見てないのがあれば昼飯を牛角にする予定を湖池屋のポテにしてもいいぐらいにはデンゼルの出てる話を見る。
言うなればラッセルクロウもダブル主人公だったのだろうが、デンゼルが……フランクがラッセルに捕まってからのほうがハハハと笑ったり爽快感があって不思議な映画だ。それまではラッセル(正義)に悪のデンゼルが捕まらないことを祈る……と言いたいところだが、デンゼルの叩き上げ麻薬人生にはそれなりのほころびがあり、デンゼルの死んだつかえびとである師のようにはうまく行かなさそうに見えていた。
なんなら麻薬で死ぬほど多い家族を食わせてやっていたという時点で破綻が約束された物語のように見えるが、なんとフランクもラッセル(の役)もガチでいた人らしいからマジうける。
さっきから内容ばれもばれを一切気にしないで書いてしまっているが、絶対ばれなさそうだからとんでもねえ利権を盗ろうと思えば獲れるほぼほぼ犯罪組織となり下がった警察の一片で家族すら失ってまで警察を正そうとするラッセルの正義感とは劇中で弁護士的な資格を並行してとるという凄まじさからも感じられるものであり、つまりはフランクを逮捕し立件したら、もはやそのつい今の今まで自分が属してた警察から一切の興味を失い、弁護士に転職して自分が逮捕したフランクの弁護をしてやるという意味不明な人生を送っているのがラッセルであり、ここが今ぼくが言ったようなモノローグで終わっちまってるところがこの話のもったいないといいますか凄まじいところ、肉を削ぎ落とすだけ削ぎ落としてなんとか二時間半に収めたんだって伝わってくるんだけど、いわば同盟関係になったあとのフランクとラッセルの姿形も見たかったと思ってしまうのは贅沢か。
アメリカン・ギャングスタ・アフターみたいにしてフランク逮捕で1が終わって、その後逮捕された直後のフランクとラッセルのあのやり取りをあれはあれでかなり省略されてしまっており、フランクの激昂が一瞬だけえがかれるがフランクの怒りはそれどころじゃなかっただろうなというのをオープニングがてらなぞり直してもらってもいいのではないか?と思うほど。
逮捕されたフランクとラッセルの尋問?みたいなところの不敵なやり取りを2時間アメリカン・ギャングスターを見た視聴者は求めてそうなものだが、さくっと終わってしまう印象がある。
フランクはぼくの中では大物で、フェンスとかの主役でデンゼルがやってたカス下級労働親は些細なことですぐにその怒りを撒き散らすのだが、これはデンゼルの意図的な演じ分けなのだろう。怒りが安いのが小物で、大物は今回のアメリカン・ギャングスターのように滅多に見せない。
車に麻薬を積んでた兄弟?かなんかのクソバカをがんがんと車のドアに何度も叩きつける、イドリス・エルバをぶっ殺す(しかし、それはとても静かだ)、なんだったかでピアノにカス野郎の頭を何度も叩き潰してあれ死んでないの?的なことをする、でラッセルの尋問で茶を吹っ飛ばす……ああ、すべてが貫通しているのが解るだろうか。
そして最大級のばれだけどエンドロール終わってからのあれですね。明日は余力があればそのへんに言及したい。デンゼルの演じ分けについて。