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PUI PUI モルカー1+2話感想

PUI PUI モルカーはキッズ向けフェルトアニメであるとぼくは捉えています。

説明のためにこそキッズ向けと表記しましたが、平時から特にジャンル制限による壁などは感じず視聴行為をおこなっている筆者の観点による感想文です。

視聴機会

見たきっかけはバーチャルYouTuber(ば~ちゃるな~す)の名取さなさんがかなり類を見ないレベルで薦めていたため。

折に触れて説明していますが、簡潔に述べるとバーチャルYouTuberとは一般的なYouTuberとは異なり現世に存在せず、2Dや3Dの姿でYouTube行為をおこなう方々。拙noteでは掘り下げてその存在について説明している回もございます。

テレビ東京系列きんだーてれびという番組内の1コーナー扱いであるという情報が公開されていますが、ぼくはこの番組の存在を初めて知りました。当該番組放映時間帯はほぼほぼ寝ているからという理由があるからかもしれません。

テレ東における朝番組でキッズ向けといえばおはスタぐらいしか知識としてぼくは知りませんが、おはスタも同時にきちんと視聴したことはないと記憶しています。

つい先日、名取さんと同じバーチャルYouTuberでありその開祖でもあるキズナアイさんが出演したということも知識として知っている程度。他には声優の山寺宏一がよく出演していた、今現在はどうなっているのかは存じ上げませんがその程度しか知りません。

子供向け番組となると、そのプログラム内で放映される内容はなんらかの教訓を含んでいなければならないというような雰囲気があるように感じます。こと日本においては。海外だとどうなのかは存じ上げません。

紹介のされ方

前述の名取さんは自分のYouTubeチャンネルにおいて、かなり時間をとってモルカーについて紹介しました。

羊毛フェルトで作られたモルカーが可愛らしく、バーチャル存在である自分にとっては、リスナーであるあなた方と違って一般的に知られている全ての動物と触れ合うことが出来ないため、モルモットはユニコーンみたいなものである、麒麟みたいなものであると表現します。

またモルカー自体がどれほど意思を持っているのかが非常に気になっていた様子。ぼくも気になりました。

果たして車なのか。搭乗する人間は持ち主?相棒?所有者?というように、どの表現が正しいのかと名取さんは考えます。

およそ2時間30分強のライブストリームの中、前半30分をモルカーについて話しました。

キャスト

またぼくはオンエア時に、アニメ番組を観たときであれば必ず血眼になってでも観るクレジットを見なかったのですが名取さんの紹介で動物のモルモットがモルカーのCVを担当していると知らされました。人間のCVは監督の家族であるよう。

初見時にはそこまで表情差分がないことには気づけませんでしたが、動物的な表現に留め、あまりに過剰なアニメーション的表現でエフェクティングしないという部分はたしかに印象に残っている気がします。

モルカーとは

そのモルカー自身の表情について。

丸い黒目が突如三白眼になってしまったり、点になってしまったりということはなかった。BSあたりでひたすら猫を追いかける番組を観ているような感覚は確かにあるかもしれない。

とはいえ、元来きちんとした手足を持ち、歩行する生き物であるモルモットを人間の移動手段として合理的に設計された自動車という形態に落とし込み、その動物性を一過的には失わせている=機械的であることを目的としているように思えながら、あくまで動物である面を強調している。

少なくとも製作者の投稿を見る限りは、です。

その代わり、飛び跳ねたり発信者の方向をすぐにくるっと向いたりり、寂しそうにうずくまったりして、全身で感情を表現している。2次元アニメ的な表現領域に少しだけ足を踏み入れることにはなりそうですが、涙を流すぐらいのことは頻繁にできるようですね。 

またモルカーたちには名前が付けられていることが公式サイトなどの情報からわかります。

アニメーション内はほぼ無声映画みたいなものなので、人語を話せないモルカーはともかく人間すら自己紹介したりすることもない。

このようにアニメの2分という少ない時間内にばらまかれた内容の断片が気になって、拡張情報を手に入れたくなった視聴者をコーポレートサイトに誘導し、ファンとして育成するというデジタルマーケティングの形式としてはかなり理想的な成功を収めているようにも見受けられます。

カーとは

タイヤがついているモル(モット)「カー」ではありながら、タイヤによる自走式ではなく、自分で自分の足を動かすようにタイヤを上下に動かすことで走り回ります。おそらく国道を。

また視点カメラは頻繁にモルカー内を撮影するため、その内部構造に自動車と同じようにハンドルが設置されていることがわかります。しかしそのハンドルが機能している描写は観られない。

名取さんはご自身が描かれた絵で「義憤に駆られモル」と表現していますが、話の展開によってどう見ても自らの意思で動き回って問題を解決に導く描写がされます。

持ち主(モルカーの運転者)の感情は二の次であるところが醍醐味なのかもしれません。

後記

またその展開を明確にするためか、わかりやすい悪が描かれています。もっとも現世と同じように金融機関から金銭を盗んだり、信号機で前進せず、車道で止まったまま他の交通を妨害するというものであるため、わかりやすいどころか割と究極的な悪と言えるかもしれません。

初段落に書かせていただいた子供向け教訓があるとすればその部分かもしれません。しかしながらそんな事をいちいち考えずに、モルカーかわいいとだけ思っていれば誰もが幸せになれるような気もします。

銀行強盗の話では、後部トランクから札束を撒き散らして犯人逮捕に導いたモルカーの行動は意図的なものであったのかどうなのか。

およそ意図的にできたのであれば、警察に踏み込まれた時にあそこまで怯えることはなかったと考えられますので単に偶然であったかもしれない。

またその際、主人公があくまでモルカーたちであるとするのであれば人間はあくまでサブキャラクター。そのサブキャラクタである警察が、(もしかしたら「犯人に覆面を無理やり装備させられ、強盗たちの言いなりとなって動き回ってしまった自分」を人間たちは悪しく思っているのではないかと)怯えるモルカーに対して勲章を与えます。

ともすれば誤解を生み出すための情報ならいくらでも際限なく満ち溢れている社会から適切な情報を見抜き、他者を正確に評価すべきであると心がけましょう、という教訓とも捉えられるかもしれません。

ただ本当にそんな事を考えず、モルカー可愛いと思っていればそれが全てであるようにも思えます、と述べるのが数行も経たず2回目ですが作者さんが感じてほしいことはきっと考察なんて野暮なことは置いておいて、フェルト生地から可愛いキャラクターが生み出せること、その物語が描写できることの美しさであると思っています。

お読みくださり有難うございました。

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中村風景
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