猿渡哲也のすごさを人に勧めづらい
ヘッダ画像をお借りしています。猿渡哲也の漫画を読んで上記のことを思った。
猿渡哲也のすごいところは自分が紙面というメディアを使って絵をかいて何かしらのメッセージを伝える、という部分に貪欲なところであると思います。
もっと美術館で個展するような一枚絵の人とか、何なら文を書いて同じように問題提起するみたいに自分がいま属しているメディアをどう使うかみたいなことが理解できていて、実際うまく利用している。
猿渡哲也は戦う形の漫画を書く人だと思っていましたが、あばれブン屋とかはジャーナリズムの腐敗を通して公的機関とか何なら政治がイカれてるみたいな普通は切り込みづらい、人を選ぶような内容にも遠慮なく触れている。
その下調べもどこまでやったらこんなディティール細かい書き方ができるんだろうと思わされるほど読者が「ほえ~」と知らなかったことを知れるみたいな「教え」に富んでいるようにぼくは思う。
猿渡哲也はいわゆる原稿を落とすみたいな締切を守らない系の失態をしない人らしい。それだけでもとんでもないことだと思いますが(社会人として当たり前だろみたいな言い方をする人もいるでしょうが、別に社会人に瑕疵があったっておかしかないしそれが許せる寛容な世の中であっても別にいいんじゃないだろうか)、絵も万人受け……いわゆる大人世代に好まれそうな劇画調のタッチが表情とかから見受けられたりすることも人によってはあるだろうけど、その戦いを主体とする話の内容であることもあり身体とかをめちゃくちゃリアルに書くところがあるような気がする。
これなら、猿渡の主戦場であるヤングジャンプ系列においても若年層への訴求ができる気がする。10代にはどうかということがあるかも知れないけど、それ以上には幅広く愛されてもおかしかないんじゃないだろうか。10代がヤングジャンプを買ってもいいかどうか疑問が残ったり、今は主戦場がヤングジャンプ系列じゃないかもしれないという懸念がありますが……
ここまで総合するとすげー漫画家だな、みたいに思うんですが勧めづらいことには理由がある。それは、もう隅から隅まで描写するからというものです。
話の進行上、描写しなければならないことは遠慮なくする。例えば殺人強姦とかそもそもテーマとしてイメージダウンになりそうなら取り扱わないという選択肢もあるかも知れないようなものも話に必要なら遠慮なく書く。
書かないことがあるとすれば、雑誌のコードに即して性器にモザイクがかかるぐらい。でも別にそれは猿渡の意思という感じではない。日本じゃそういう決まりがあるからそれに従ってるだけ。
人間の心の移り変わりみたいな描写も遠慮がない。だから意図的に後味を悪くしてやろうとか意図的な演出じゃなくて、結果後味が悪くなっちゃったけど、別にそのまま出版するしかねーしなそういう話の展開だし、的な情緒がある。
その後味の悪さも、なまじそれに至るまでの情景描写がしっかりしているだけになるべくしてそうなったんだろうな、自然なんだろうなと思える。思い入れがえできたキャラクタを終盤まで追って、まんまとえげつない行動に出たりするから読者の感情が引き釣り回される。
だから猿渡哲也の漫画は芸術センスとか描写力がすさまじいんですが、おいそれと人に勧められなくて困りました。いい週末をお過ごしください。