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映画「7つの会議」感想
映画はたった2時間で話を終わらせなければなりません。
続き物にするにも、始まって2時間後には落とし所を設定しなければ───────来場客を満足させなければ───────実際に続かせるための制作費を稼ぐこともできない。あくまで制作費を自転車操業状態で調達しようとしているのであれば、ではありますが……
だから主役の野村萬斎(八角=やすみ)が「上司に叱られた男」が出てきた扉の前で都合よく待っていられても、類まれなる探索力で及川光博とペアの女のかたが行き着く場所を判明させられても、接合具の耐久テストによって所定の耐久力がなかったため破損してしまった金具が飛び散って役者の身体を傷つけることがなかったとしても、物語を2時間に収めるために仕方のないことである。
別にこういった細かいことをどうのと言いたいわけではなく、こういった超人的能力が主役に備わっていてこそ物語であると思える。野村と言えば陰陽師ですしね(←?)。
物語である、とは
むしろ物語であるからこそ、現実でこのような悪事を暴かねばならなくなった、悪事が自分の方向を向いたから立ち向かわねばならなくなった場合、運や能力その他すべてのお膳立てが整って初めてできることなのだから似たようなことが自分に降り掛かってしまったのなら、被害を最小限にしてその場を後にするための準備に全力で取り掛かるべきと思えるのかも知れない。
また同時に現代劇というジャンルであるということは、
・この映画の内容は現実で起こりうる。組織の利益のために偽証や隠蔽が暗黙のルールとなり定例化し、その結果不特定多数の市井の人々が命に関わるほどの損害を受けたりするから気をつけようね、
もしくは
・そのような不正が平然とまかり通る世界なんておかしいよね。不正は須らく取り締まられなければならない。
或いは
・このようなことが紙一枚隔てた向こうで起こり得ても何らおかしくない。きみたちこんな恐ろしい世界でよく生きていられるね?
という、いま挙げたようなどのような教訓を受け取ったとしてもおかしいことではなさそうです。以前より何かの感想を書くたびに折に触れて話している、「視聴した側がいかようにも想像できる余地がある創り」ほど尊ばれるのであれば見事にその基準を満たすために制作されているように見える。
この考え方ですが、むしろ頼まずとも「視聴した側のほうが千差万別に、もしくは自分にとって都合のいいように物事について勝手に理解した気になり勝手に発信する」というようなUGCありきなベクトルへ社会のあり方が変遷してからというもの、作者が何も意図しなくても妙に穿った見方や深読みしてくれるというユーザが後をたたなくなったという現象を受け、もしかすると現代はどちらかといえば創造がしやすい構造となっているという見方ができたりするのかも知れません。がちがちに企業に所属して、その庇護下で何か行動するという状態でないのであれば。
後者の場合だとより一層やりづらそうな方向へ社会がシフトしている真っ最中であるといえるかも知れない。
感想は数千字で終わらせなければならない
冒頭で述べたように2時間以内に終わらせなければならない映画の制約と同じように、この場所のような文を貼り付けてリリースする場所においてはその内容を数千字に留めなければならないという制約がある。
もちろんこのサイトがそんなルールを敷いているわけはなく、一般的に知らない人の文なんて何万字も読む気にはならないから。ぼくは自分が知りたいと思ったことは知らない相手の分でも何万字あってくれても構わないと思いますが、決して自分を特別ぶりたいとかそういうわけではなく普通そんなに時間を費やしたいと思える人はいないことでしょう、という推測に依るものです。
つまりそろそろ数千字の尺度に達してしまう。だいたい最初にいだけた事柄については述べられて居るように思えるため、追加で思いついた事があれば続きのような形で書いて行けたらと思います。
後記
後は世良公則が、彼自身がおそらく世良公則然として生きてきた内容とは180度ほど別物の大役を演じていたことに驚かされた。ぼくは世良がああいった髪型をしている様子を見たことがなかったため、この村西というひとはおそらく香川や鹿賀、橋爪に匹敵するほどの俳優なんだろうけどまったく知らない誰なんだろうと思っていたらエンディングで判明しました。
この映画は特殊ED制を採用しており、野村の独白ががんがん進みながらスタッフロールが動いていくため、ともすれば見逃してしまいます。
ところでアニメじゃなくても「特殊ED」というようなおたく用語を適用してしまってもいいのでしょうか。映画文化はおそらくアニメ文化より先んじていて、そもそもエンディングだって黒背景に白い字を流さなければならないと決まっているわけはない。エンディングなんて自由に創ればいい。いうなればそこかしこに存在する全てが特殊EDといって良いのではないでしょうか。
お読みくださりありがとうございました。
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