映画の感想「パラサイト」上
金曜ロードショーで放送してくれたので、韓国映画だというパラサイトを見ました。
※映画全体の感想になる予定なため、核心部分に遠慮なく触れる可能性があります。
普段映画を全く見ないぼくの耳にも届くほど反響があった映画であると思えていた映画でした。ぼくは好きな有名人とかタレントは決して多くなく、そんな中でも「嫌いではないベクトル」に位置する人々がこの映画について好意的な意見を述べていた。
好意的、と断ずるのは少し違うかも知れません。ぼく自身が見終わったからこそ言えるのかもしれませんが、彼女/彼らの映画に対する感想が決して普遍的な、一辺倒なものではなかった。
つまり何らかの衝撃を受けたということがわかる感想だったということですね。ぼくにとっても衝撃だった。
ぼくはこの映画がほぼ2020年に封切りしたのでは?という時間間隔でいたため、もうテレビに卸されるとは意外でした。
後々にも述べますが、参考資料を見ていたら現地での公開こそ2019年だったようですが、日本人がこの話を気楽に見れるようになったのは確かに2020年のようでした。
ただ2020年とは、2021年にも連なるいかにもああいった時期であったため、そこまでの評価が得られるほど人々の間に浸透できたのか、と今更ながらにして思う率直な(評価に対しての)感想です。
初期感想
ごくごく簡単に感想を述べるのであれば、
「世界にはなかなか上手く行かないことも多いけどこうして何とかわけのわからないことを続けたりしながら笑い合って生きていける。楽しく行こうや」
的コメディと思っていたら、
「韓国という場所の風土を幼い頃から自信の心身奥深くまで刻みつけられた人間たちの血で血を洗うサスペンス」
であると同時に
「生々しいまでに生命を存続させることの重さとか深刻さについて描写したドキュメンタリー的架空の話」
というように推移していきました。
ぼくは自分のことを、過去の偉人が残した名言のような「映画って本当に良いものですね」という段階まで自らを掘り下げられる視聴者ではないように思います。
上記の通り、映画に興味を持って生きる、時にはウィークエンドの自分への褒美としてテンションを高めるためのカンフル剤とまで位置づけられるような人生ではなかった。
そのような人間の感想としてまず今ぼくの心を覆っているのは、映画という媒体は
「見るまで、見終わるまでは『良いものです』とも『良くないものです』とも言えないだろうなぁ」
というもの。
コメディからサスペンスに変わった
全体を見ているからこそ中盤が(主役たちにとって)ある一定のピークであると理解できるのですが、そのピークである中盤の辺りから「あれ?コメディであることが成立するためのその一線を越えるのか?」と思い始めます。
先住民である家政婦に対し、割と洒落にならないダメージを与える辺りからです。
ただそういった不安材料をはらみながら、それまでと同じように、もしくは登場人物たちが架空の存在で単に役割として演じられているという「パチ物さ」が打ち消されるような時間の経過をしていきます。
具体的にはリビングにおけるパク夫婦の性交シーン。
恐らく時間経過で流した部分を含めても実際に性交はしていなかったのでしょうが、演技と呼ぶには生々しい時間が流れていた。豪邸の地下で死に至りそうな人間がいるにも関わらずです。
これは単にぼくの体感として、
「恐らく日本映画で性描写を挟む必要があったとしても、そのための舞台装置としてならここまでは映さないだろう」
という常識が前提にあるからだと考えています。
さらに単純にぼくが映画知識が浅く、映画鑑賞体験が少ないからこそ抱いた感傷であり、むしろそのおかげで物語内での話と時間の進み方がリアルであると思いこむ=没入するために機能してくれた、役立ったとさえいえます。
「あっちでこんなことが起こっていようともこっちでこういうことが必要になればこういうことは必然的に起こり得なければならないし、
そもそも映画とはそういったタイミングがいかにも偶然に一致したかのように見せるため緻密に計算されているものであり、
その結果として観客に一定のカタルシスをもたらす」
ということをなんとなく体感できたように思います。もしかしたら上で述べたような偉人が言いたかった映画の良さというものはそういうことなのかも知れない。
世間的な映画の講評について
映画という発表媒体としてかなりの評価を受けているように思います。
あまりWikipediaを参考文献にするのは
・匿名編集が比較的容易である、
・他システム的に信頼性に欠ける
・他
等というような印象を一般に持たれているためしないほうが良い気がするのですが、ここは別に学術機関の論文発表場所ではない。
従って以下表彰経歴は同ページから引用しますが、
第72回カンヌ国際映画祭では韓国映画初となるパルム・ドールの受賞を果たした[6]。第92回アカデミー賞では作品賞を含む6部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の最多4部門を受賞した[7][注釈 1]。
ということです。
いわゆる映画の感想、レビューと言っては大袈裟でしょうか。
そういったものをテキストが置けるサービス上に残す行為というのは割と一般的であり、趣味としても成立しているように思います。「批評」とかまで個人の領域で行ってしまうとまた違ってくるのかも知れませんが……
ぼくはnoteでそんなことをしてこなかった。自問自答しながらその日をどうやり過ごすかということばかりnoteに書き残してきたため、自分がそんなことを書いても仕方ないのだろうかとも思っているのですが、何か自分にとって新しい展開を呼び込むきっかけともなる可能性を感じ、折角なのでまた続きを書いていけたらと思って居ます。
キャラクターや時代背景みたいなものにさっぱり触れられないで書き進めてきたため、次回はその部分を掘り下げられたらと思っています。
例えば主役はギテクのようですが、ギウのようにも思えます。
メタ次元なことに言及するのが良いかどうかはわかりませんが、字幕表記ではギテクが主格を表す黄色文字、ギウ・ギジョンにも色文字がついているのですが母であり生き残るチュンスクには色が点いていない(機能的な問題なのかも知れませんが)。
そういったこととかを含めて書いていきたいです。
次回は以下。
お読みくださりありがとうございました。
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