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非同軸上の同心円(Primitive Version)
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTには世界の終わりという歌があり、2バージョンある。ヘッダ画像をお借りしています。
これは産業ロックについての批判みたいに捉えられるだろうか。
面倒なことに片方のスマッシュヒッツバージョン(Smash Hits Version)は産業ロックの名のもとに生まれたバージョンであり、正当な評価対象にはならない。なぜなら前奏・間奏・後奏ともに恐ろしくご丁寧にMIXされてしまい本来の半分カットされまくっているからだ。
ちなみに……コンポーザでもある彼らがスマッシュヒッツバージョンについて言及したことがぼくの集めた資料内には見当たらないため、コンポーザ自身による評価も不明である。
さらにちなむと……THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが尺の都合に左右されて演奏を自発的に短くしたことはない。とはいえこのレコード会社デビュー時のスマッシュヒッツバージョンについては、何らかの契約がかわされ当て振りで演奏させられた例があったかもしれない……が、以降についてはカラオケ音源だけ流す演奏をしたことはない。せいぜいGTがふじてれの勝手な都合でぶち切られてCMにいかされた程度か。
本当のところは知りたくもないので調べようともしていないが、この歌のバージョンが2つに分けられたのは日本コロムビアの金満主義がもたらした結果だろう。まるで忌み子のようだ。かつてTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTがユニバーサルに移籍した瞬間に恨み骨髄とでも言うかのように三枚組の何の面白みもないベスアルを出した。これを金満主義と言わずしてなんとする。これを産業ロックと呼ばずしてなんとする。なんといってもこのベスアルにスマッシュヒッツバージョンは収録されていない事実が日コロのえげつなさを想像させる。
もっとも三枚組のうち最後の1枚は未公開音源6-7個ぐらいだったため日コロに感謝したファンが当時はいたのかも知れないが(現役で体験してない上に同じ対象を好きな仲間をぼく自身が求めていないためわからない)、単に利権を持ったレコード会社が潜在顧客からも見込み客からTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTに与えた投資回収を図るためのフロント商品にされただけの話である。
ミュージシャンが、その生活の全てをかけて、恐ろしい額の楽器を持ち出して、何人もの大人と一緒に収録して、何人もの大人が夜になっても家に帰らずにリマスタリング作業なりなんなりをして、ジャーマネだの広報がプロモーションして、やっと完成した歌をフロント商品程度に扱うのがレコード会社である。
別に誰からも明言されたことはないが世界の終わりの本物、つまりPrimitive Versionはカットされていない上にくそ長い後奏がある。当て振り以外でスマッシュヒッツバージョンが演奏されたことはない。だってスマッシュ~は「シングル用に短く仕上げる」ためだけに存在するバージョンなのだから。
ここまでお読みいただいた方がさてムービー系プラットフォームで両バージョンを聴き比べよう、と思ってくださるかどうかはわからないが注意点がある。
スマッシュヒッツバージョンはシングルプロモート向けにアーティスティック(便利な言葉だ)な映像に作られているが、後年、当人たちも納得づくの上で作られた初期ベスアル(TMGE106)プロモート時に作られたPrimitive VersionのMVはそれまでのMVが全部合成された造りになっていて感動ものであるといえる。
しかしながら問題点がたったひとつだけある。当時ポケモンショックがあった前後かどうかそちらも現役で経験してないからわからないが、いわゆるフラッシュ演出についての遠慮が一切ないヴィデオとして制作されたようでありめちゃくちゃ目に悪い箇所があるので注意されたい。
ところどころスマッシュヒッツバージョンの絵をまんま使っていて、特に最終コーラスでは海沿いの街をおそらく珍しい私服で全員が歩いている。「演奏を主体として撮影すべき」という理念を持ったTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTでありながら、最終コーラスにただ歩いている映像を使っていて不思議な気持ちになる。
かつて故あべふとしは誰が演奏しているかわかったほうがいいからジャケなり説明書なりにミュージシャンの顔写真が映ることに賛同していて意外に思ったことがある。現代は顔出しNGな風潮なんて当たり前であり、メジャーデビューさせたいなら(つまりある歌について産業ロック化させ、当該レコード会社がその利権を蝕みたいのであれば)顔を出さないことが契約条件にさえなることは何ら珍しくもない。あべふとしは体育会系な人間であるとは思っているが、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが現代のミュージシャンであったら果たして当時と同じように演奏主体の映像を撮影しただろうか?
つまりぼくにとって海とは世界の終わり(Primitive Version)なのだ。
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