太陽に焼かれて殺されたダニの香りの芳香剤を売れ 第39話 おま5×転3×打た取れ
浅荷と湖を見つめる静かな時間が、俺にとってはどこか居心地の悪いものに感じ始めていた。
俺は彼女に救いを求めているかもしれない。だが考えてみればそれは彼女が抱える「気配」に甘えているだけなんじゃないか?自分の心の隙間を埋めようとしているだけで、その隙間を埋める理由や覚悟を持っていないことに気づかされる。
一方あのジョーカーを見に行ったコメディアンは違った。
彼の儀式には確固とした「目的」があったはずだ。自分の存在を確認するため、孤独を抱え込むために、彼は毎回その悲劇に向き合っていた。
もし自分の内面にジョーカーの影を重ねることで、日常生活では許されないような「自己破壊」の衝動を代償的に満たしていたのだとしたら……?
そこには一貫性があった。自己を壊し、削り、ただ存在を確かめるための「反復」があったんだ。
「なんか……俺にはあの人(コメディアン)みたいに、悲劇を自分に刻みつけることで存在を確認する覚悟なんてないんだよな」
俺は湖の向こうを見つめ、ぽつりと呟いた。浅荷は何も言わずに俺の話を聞いている。その無言は、別に俺の本音をもっと引き出そうとしているわけではないだろう。だから話せるんだろう。
俺は浅荷を通して何かを埋めようとしているだけで、本気で自分と向き合ってるわけじゃない。彼は毎回映画館に通うたびに、自分の殻を削りながら本当の自分に近づいていたのかもしれない。
浅荷は静かに頷く。
「……その人は映画でしか自分を見つけられなかったんだろうな。でも、それでも自分を見つけようとしただけ立派だよ」
俺は彼女の言葉に少し驚いた。
あのコメディアンの行動を「立派」と評する浅荷に驚いた。
不可思議な敬意すら感じる。彼女も自分の内に秘めた「影」を抱え、その存在に向き合おうとしている。
俺は彼女のように、過去を「儀式」として抱え続ける覚悟があるだろうか?
いや、俺はただ自分の弱さから目を背けるために、彼女のそばにいるだけかもしれない。
「浅荷が抱える気配も……なんていうか、儀式みたいなものかも。過去を受け入れるための」
浅荷は不思議そうな顔でこちらを見つめる。
「儀式?……そうだね、あたしにとっては、たぶんそういうものなのかも」
俺はもう少し続けて自分の中の空白に向き合うために、彼女にもう一つ問いかけたくなった。
「浅荷のその気配が無くなったらどうなると思う?」
彼女は一瞬戸惑ったように目を見開き、考え込んだ。
彼女にとってその「気配」がどういう意味を持っているのか、俺はその正体を知ることで、自分も少しでも彼女に近づける気がしていた。
「……どうだろうね。無くなったら、寂しくなるかも」
気配が無くなることに安堵するのではなく、むしろ寂しさを感じるのは普通ならば理解しがたい答えだ。
でも俺は会ったことのないお婆さんの生霊(?)なのであると本気で思ってるのであれば、さもありなんて感じがする。
あのコメディアンもジョーカーの映画館での公開が終わったあたりで、同じように「寂しい」と感じたのではないだろうか。あんな恐ろしい、悲しすぎる映画が終わったことを「寂しい」と。
孤独や悲劇に向き合うことで、彼らは自分自身を見つけ、同時にその存在を確かめていた。あのコメディアンにとってジョーカーは心の拠り所だった。
だからこそ何度も観に行くことで、その存在を反復し続けていた。そして浅荷も自分の中にある影を確認することで、何かしらを失わずに済んでいるのかもしれない。
だとしたら俺が彼女のそばにいる理由も、自分の中の「影」を確認するためなのか?
俺の影ってなに……?
「……浅荷、その気配があるおかげで、きみは自分を支えられてるのかな」
俺の言葉に、浅荷は少し驚いたように俺を見た。そして、うっすらと微笑んでから、再び湖に目を向けた。
「そうかもしれないね。怖いけど……あれが無くなったら、私、どうなるんだろうって思うよ」
その言葉には恐れと共に少しの覚悟が含まれていた。浅荷は自分の中の影と共に生きていくことを受け入れている。彼女は影を恐れながらも、その存在を自分の一部として大切にしているのだろう。その姿は、あのコメディアンが「悲劇」に寄り添い続ける覚悟と似ているように感じた。
俺はそれを見て、やっぱり自分が浅はかに感じた。俺は孤独や虚無に正面から向き合うことなく、ただ彼女に依存することで自分を救おうとしている。だが俺にとっても、この時間が少しずつ「儀式」になりつつあるのかもしれない。これを人は現代病と喚ぶのだ。