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椎名林檎にだけは幻滅したくなかったみたいな空気はあるのかないのか

例えば外国のロックが政治や宗教への反発心で産まれたのだとすれば国産のロックはあまりにも飽食の副産物として産まれすぎたと言えるかもしれない。ヘッダ画像をお借りしています。

だからこそ親が性風俗業だからなんだ、俺こそが性風俗だと、本当の幸せなどわからぬと、社会にとにかく反発することがロックだったとも言えるかもしれない。

産業ロックは死んでさえ生まれてさえいない

ともあれ飽食の副産物として歌が産まれたのであれば、それはもう産業の幅をはみ出ることはない。つまりロックが死ぬなどという概念など既になく、ニーチェみたいに哲学めいたことを言って俺わかってまっせ的な気分に浸りたい人が使う言葉でしかないのだ。

東京事変だったか椎名林檎がワールドビジネスサテライトのエンドテーマに起用されたことがあった。ぼくはマジで合わないなと思っていた。

せめてWBSで流すなら椎名のボーカルは、いつしか当たり前となってしまった「のこぎりを縦に固定して、さらに硬い金属で上から無理やり切断しようとする時に出るような」声で固定されてしまったいつものそれではなく、積木遊びとか丸の内サディスティックで時折出すような猫なで声を遣ってほしかった。

ポジティブなニュースばかりではない経済番組の終わりにあの金属声を流したのでは、無投票で市長が選ばれるようなものだ。それはロックなのだろうか。

赤い十字

そこへ来てこの話だった。ぼくは以前、エスカレータで赤い十字のマークを背負鞄に吊るしている人を見たことがある。

彼か彼女か今や思い出すこともできないが、エスカレータの片側をぼくは登って歩いていた。その鞄を背負った人は止まっていたので、ぼくもその後ろで黙って止まっていた。

その人は背がそんなに高くなかったかもしれない。後ろの連中はもしかしたらぼくのことを急にエスカレータで止まった妙な者だと思っただろうか?

エスカレータとは本来、右だろうが左だろうが空けることはマナーでもなんでもない。真ん中に立ち、今でこそ衛生的な面から見て愚直に守る必要こそないが、「手すりに捕まって床が上がるのを待つだけの交通機関」である。

急いでいる人間は階段を遣わねばならない。「エスカレータ上にある同調圧力」を都合よく利用して、片側を歩いたり駆け上がったりするのは自治体によっては条例違反だったりする。つまりぼくだって間違っていた。

デザイナーなのか本人なのかは知らないし今となっては興味もわかないが、椎名のブランディングを構成するものの中に斯様な行為に及ぶものがいて、商品としての椎名を形成している事が浮き彫りになった。ならロックは死んだのだろうか?

ロックはビジネスだから生きており、ビジネスだからそのような販促品が造られたのだ。いい歌が収録されたCDやレコードだけ売ればいいという考え方はビジネスではないようだ。

亀田も何食わぬ顔で本日更新分のエッセイを更新する。もちろん何にも触れることはない。これにあわせて急遽原稿の差し替えをすることなどもはやないのだ。それは産業だからだ。

ロックは産業化したのでいつまでもこうして生きている。

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中村風景
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