世界の北野とぐら
新聞読んでたら講談社の広告が目に入りました。それは世界の北野とがうる・ぐらが広告塔として起用されていたためです。ヘッダ画像をお借りしています。
講談社はこの節目である月初に気合い入れた広告を打とうと思ったのでしょう。その広告とは北野やグラ以外に、文化人ていうんでしょうかそのような人々が「講談社といえばこの本」みたいな選択結果とともに、本に対する愛情みたいのを書いてるというものでした。
覚えている限りで他には渡辺直美や大坂なおみが選書していた。ちゃんと見ていなかったので、本当に講談社の本から選んだのかわからないけどじゃないと広告の意味がない気がするからそうなのでしょう。そして他の人は目が滑ったりあまり好きになれない感じの人々が多かった気がして覚えていない。
世界の北野
ぼくは北野もぐらも好きなのでただただ驚きました。もちろん本人たちは共演したみたいな意識なんてないと思うし、ぼくもそういう過剰な騒ぎ立てかたをしたいわけじゃない。
でもぼくは今でこそ書いてないですが、noteに映画の感想を書くようになる以前から日本の映画の中では北野が群を抜いていると―――そのような優劣はつけたくないけどあえてもっとつけるなら日本という小さな物差しではなくハリウッドとかアジアとかも含めて―――思ってて、でもnoteにアカウントを造る前にあらかた見てしまったし、改めて書く機会がなかったという背景を持っています。
ぼくは自分が読み返しやすいようにフリーマガジンを造ってるんですが、こと映画については一切造っていないのでもしお読みになりたければ(読む必要はないです)プロフィールの検索ボタンを押して浅草キッドとかの単語で検索してもらえればわかるんですが、直近の北野体験といえば浅草キッドという映画でした。ちょうど一年も前になってしまう。
この映画も北野が関係してなければ(映画の造りには関与してないはずだけど、映画自体が北野の伝記だ)造る側とか演じる側に全く思い入れがなかったから見なかったと思う。それぐらい北野はぼくにとって大きな意味を持っていると思っていただければOKです。
世界のぐら
がうる・ぐらは言っちゃえば仮想存在なので北野みたいに実在していないと捉えることもできるんだろうけど、その非実在性も含めてぼくは感じ入るものがあるのでその辺りの考え方についてはほっとくとして、講談社は多分日本に大きく関係ある人々がこんなにも講談社の本を好いてくれてまっせ、この広告を見たおたくらも読まはりなっせゲヘヘと言いたいんだと思うんですが、だったらカバー社の他のヴァーチャルタレントを連れてきても良いように思った。マリリシャとか
カバー社じゃなかったら、休止状態じゃなければアイさんでしょうか。でもアイさんと本の親和性って今まであまりなかったから難しいでしょうか。
日本産で日本向けのヴァーチャルタレントだとなんといいますか秋葉系特化型の見た目をしていてアレなのかもしれない。これはぼくがそう思っているとかじゃなくて、ごく客観的に見てその可能性があるかもと思った。
だから世界で万人に受けているグラが選ばれた。だったら森でもキアラでも良いような気もするけど、グラはキャラクター然としているところが良かったのだろうか。最新の二次元事情でいうところのスパイファミリーのアーニャみたいな感じと言いますか……カバー社にもアーニャがいるのでややこしいですね。
あるいはこれから大々的なイベントがいくつもあるし、海外向けタレントを国内でもガンガン起用しまっせ的な広告塔的役割を、講談社の広告の中で背負わされたのかもしれない。グラは日本の歌が好きなんですね。
新聞を買うかどうか
グラや北野がどういう言葉を寄せているかについてはここには書きませんが、ファンなら見ておいても良い気がする。
ファンなら収集的な意味合いにおいても買う価値はありそうだけど、朝日新聞以外にもこの広告は掲出されてるんでしょうか。同じ本とか読みたいでしょうしね。
折り込みいい加減にしないか?
でそれも大事かも知んないんだけど、1/1の新聞って年々あほみたいに厚さが肥大化してってる気がする。これはもちろん折込広告が多すぎるせいです。
これはぼくがある一定のいくつかの場所で体験したのみなのでガチ目に裏が取れてるとかじゃないですが、1/1の折り込み広告だけは信じられない量が挟まれるのが定説っぽくて、「おまwwwwwwそんなとこまで消費者がいくわけねえだろwww」的な場所に位置する店舗からも広告が挟まれることがめっちゃ多いっぽい。
ぼくはこれを割と由々しき問題であると捉えています。理由としてはポストの大きさとかをケチって建てられた賃貸住宅とかで新聞が入らないから届けらんないみたいな事故が起きそうだから。いくらなんでも1/1の新聞を床に置くとかはしないでいてほしいんだけど、モラルがなければやっちゃってもおかしかない気がする。
幸いぼくはそんなことされたことないし、仮にぼくがそんな状況下で新聞を配らされる羽目になったとしたら本部にビニール袋の携帯を養成する。新聞を入れて玄関にかけるなり、ドアノブにかけるなりできるからです。もちろんその分配送効率が下がると思うので、人件費をそれなりにかけてもらうよう交渉する。人件費がそんなにかかるならと新聞社は広告量に規制をかけるようになり、配達者の負担は減るでしょう。
むしろすでにある一定の制限はかけられているのかもしれない。折り曲げてこれ以上の大きさになる予測がつく折り込みは何枚なので、それ以上は織り込めないと。そこまでして1/1に折り込みたいなら入札で決めやがれ、みたいなことがあるのかもしれない。
2020年のアレ以降、外出が自粛されて広告量もめっきり減ったんですけどこれから盛り返そうで複雑な気持ちになる。むしろ新聞本体が全盛期のページ数まで行かずに、行って36ページ程度だったんだけどめったにそんな枚数行かなくなった。新聞のあの巨大な紙が10枚集まるだけであの厚さになると思うと読む気なくしますよね。
でも諸機関がその業の務を停止に追い込まれるこの時期はページ数が26とかもっと少なくなることもあってよかったんだけど、1/1については本紙にガッツリ広告が食い込むわけで見事に36pとなった。おかげでこの広告に会えたわけでもあるんですけど。
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