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太陽に焼かれて殺されたダニの香りの芳香剤を売れ 第36話 ( O-o)
浅荷の目には俺がどう映っていることだろう。
この湖のような澄んだ心の持ち主だと思える。そして意味不明なオカルト現象に困っている。だから節介になってしまおうと思ってしまった。
人のためになにかする。さっきまで考えていた、俺にはまず確実にない意識である。
そりゃプロ意識なんだろうか。流石に違う気がする。勝手な義憤でしかないだろう……そして自分で自分の痛くない腹を探るなら、浅荷という異性に対し何か好意の種をばらまいておけば生物学的にあとで何か良いことがあるかも知れないからそのような行動に出る……だってこれが同級生の男とかだったら俺はそんなことするだろうか?
あ、いいよぐらいのテンションでするだろうか。そんなのは簡単か。別に放課後、友達の家に行って異変がないかどうか見て帰るだけでいい。あわよくば飯を食わせてくれるかも知れない。行かないほうがありえないか。
そして俺は別に妖怪ハンターとかではないのでそういう視点から見てもプロ意識などない。マジで本能的なものが女を助けておけば、恩を売っておけば、後で良いことがあるんじゃねと言っているから声をかけただけで、この原理を辿るのであればその辺のナンパ野郎と変わらないのではないか。
俺はジョーカーを10回も見に行ったコメディアンの話を思い出す。気が狂って仕舞ったのだろうかと評すのはあまりにも短絡的で簡単過ぎる。だってそのコメディアンは狂っていないからだ。
ならば正統なコメディアンなのかよ?という疑問が起こるだろうが、流石に逆に何を持って正統かなんて俺にはわからない。コメディアンなんていう職に就いた以上、正統ではないかも知れない。正統ではコメディアンになれないのではないか。俺みたいに放課後なにもやることがないから学校のPCで金稼ぎをするような奴とはえらい違いだ。毎日バレー部に通える浅荷も凄まじい生き物だ。毎日着替えて疲れるためだけの場所に行き、疲れるためだけの好意をしに行く。
だが、一定のコンセンサスがそこにあったからできたのだ。それはそのジョーカーを何回も見たコメディアンにまず適用できることだ。
ジョーカーとはマジでひどい話だ。障害を負って、さらにまた別の障害を負ったかあちゃんと一緒にスラムで生きている中年に差し掛かりそうなアルバイトでピエロをしている男の話だ。これだけでつらい。そんなジョーカーに世間は何も容赦なんてしない。つまりそんなジョーカーの悲惨な人生を10回もあの巨大なスクリーンで再生するのだ。悲惨な人生を再生する。通常の常軌ではできないということだ。しかしそこには理由がある。それが一定のコンセンサスである。
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