市川ぼたんの憂鬱
前相当熱心に市川ござるについて書いてたのに、それが2022で途絶えていた。つまり2回平気で見逃しているっぽいことがわかった。
となると小5~6の姉貴と小3~5の弟あたりを見逃したことになるのだろうか。そこを見逃すとどのような損があるのかわからん。今回も1.75倍で見たが、あれめちゃ短くね、といいますか中村屋はいつのまにやんなくなってんだろう、もうええでしょうなんだろうかと思った。
それらについて考えてると、これまでも触れてはいただろうがメインの話題にしたくなかっただろうからしていないのか、もはやこの番組とは市海老を見せてどうのっていうんじゃなく、市川ぼたんと市川新之助をとにかく見せるための番組という意味がものすげえ強いんだということがようやくわかってきた。視聴者はホームドラマが見たい。市海老が11?衣装早着替えするところが見たいかどうかはわからん。
市川ぼたんを見ているとやれ女系天皇だか男だかみたいな話を思い出す。それは子供の頃特有の愛情なのかも知れないが、ここまで親父に嫌悪感をいだかず親父がやりたい世界に恭順したい姿勢を見せており積極的に協力している。
だがこの親父が属している世界は、親父の意思とは無関係にぼたんが性別:女であるからがゆえにもうこの先ぼたんを起用することはないという。
あまりに馬鹿らしくくだらない。別にぼたんが可愛そう、市海老が可愛そうとか言ってるわけじゃない。そんな時代遅れな古めかしい文化集団にここまでコミットしてくれようとしている13歳児がいるというのに、性別ひとつのせいでそれをぶっ消すのが正しいらしい。何かがその後も続くかどうかは若い血があるかどうかでしかないのに、それを自らのプライド?意味不明な慣習?かなんかいうクソくだらないもので摘んでいる。自分で自分の命の延焼を食い止めようとしているろくでもない文化だった。
甲子園や両国に女を絶対立たせない文化も同じだ。もちろんぼくはフェミニスト的なそういうのに関わりたいわけじゃない。単に不自然すぎる行為を物ともしない主に世代が上空の連中とともにいたくないだけだ。
市川ぼたんを見ていると正しくこの伝統芸の継承者であるようにしかぼくには見えなかった。といいますかこの文化にとってあまりに都合が良すぎる人材じゃないの?とまで見えるほどで、あんた本当はもっとやりたいことあんじゃないの?ってぐらい。
それをテメエの手で潰そうって言うんだから救いようがない。何度も言うが情けない。文化を文化として継続させようという意思がないからそんなことをすんのよね?と確かめざるを得ない。
受け答えも演技も完璧、唯一の心配は思春期だか反抗期になり市海老が嫌われること(本人談)。弟はまっとうならこの先市海老になり團十郎にならねばならないが……こっちも本当にそれが自分の意思なのか、生まれた当時から職人気質な大人たちに囲まれていてしまい、答えとされるものがすでに決まった世界で生きてこさせられて、せいぜいそいつらの最大公約数、最小公倍数どっちの表現が正しいのかわからんが、その当たり障りない共通の言い方でしゃべるように育ったように思える。不安があるとすればそこだが、市川新之助が属す世代はα世代なのでむしろそれがスタンダードか。