太陽に焼かれて殺されたダニの香りの芳香剤を売れ 第35話 羽がある人
俺は割といきなりろくでもないことを口走ったことに気づく。親戚でもない女の人に対して、一緒にいるよ、と。何かしらのある行為に及ぶ時に、近くにいようと。そんな節介があるだろうか。
俺が浅荷の近くにいる意味はなんだろうか。家庭で解決できるんじゃないのか。母さんから電話があったみたいだが、別に親父さんだっていることだろう。
俺が浅荷のために幽霊……いや、わけのわからんラップ現象みたいなのと対峙する……?
幽霊とはなんだろうか。生きていない人だ。そもそも浅荷が感じているそれがマジで近所の優しいおばあちゃんなのかどうかもわからない。彼女が幽霊になってしまった、死んでしまったのかもわからない。浅荷はそのあたりを何も言わなかったし、ただ急に会わなくなったと表現しただけだった。
生霊みたいな考え方もあるのか。生きてるのに霊体化するまでの熱情を持っていないとそんなことはできそうにない。少なくとも俺は……
俺はとんでもなく生きることに執着できないときがある。放課後のクラブだってそうだ。浅荷はさっき褒めてくれたが、やることがないからバイトでもインターンでもなく、自分の能力に値段をつけて売っているだけだ。さんざん社会に揉まれて来た人々が相手だから、俺もそのルールというか空気感に合わせているだけで、俺にはなんのモチベーションもない。
俺の能力をたまたま買える金持ちが市場には意外にいただけだ。俺なんかより字がかけて、絵が書けるやつなんて信じられないぐらいいるだろう。何かの運で、そういう連中が俺より破格、いや同額で買えるんであれば、もはや俺に居場所なんてなくなるだろう。俺は向上心がないから、そういう連中に合わせにいく技術磨きなんてしようと思わないし、どのようにすれば斯様な技術が身につくのかがまずわからない。
こんなに俺は空虚に生きている。俺みたいな奴を「死んでいる」というのではないだろうか?恨みだろうと節介だろうと、誰か自分ではない者のために生霊になったり、騒音を出すような存在に生きながらにして、あるいは死にながらにしてなるなんて、情熱の塊でしかないように思える。心霊現象とは斯くも情熱が起こす現象なのだ。
するとどうだろう。死んでる人々の方がよっぽど生きている俺より「生きている」。
ように見える。
誰かの頼みを聞きながら別のサイトで誰かがゲームで遊んでるのを垂れ流しにしている。その人はそのゲームで遊んでるだけで金が懐に入ってくるのだろう。俺は残念ながら自分で自分の手を動かさないと金を手にすることはない。俺のPCのそばに寄ってきた蜘蛛を別のところに避難させてやったとて、能動的にPCにかける布なり壊れた靴の代わりを巨大なモールに買いに行ったとて、俺は自分の金を失うだけで経済の歯車が0.00000000000000000000001°程度回るだけだろう。
なぜ死んでしまった人たちはそこまでの思いを持っていながら死んでしまったのだろう。と聞くのはあまりにも残酷か。俺は生をあまりにも贅沢に捉えてしまっているだけか。髪も伸びすぎた。浅荷の切り揃えた──切り揃えたというとおかっぱみたいに思えてしまうか。最低限バレーの動きにじゃまにならない程度に短さを担保したであろう───美しく整った髪と比べてあまりにも見にくい。俺は何回あまりにもと言っただろうか。
ああ、時々、こんなにも生きることが虚しくなってしまう。