ムッワァ……♥から始める新婚生活
これは恐らくもくそもなく18禁どころかそれ系の意味で人を選ぶ話なので、閲覧の際には自身が属す立場やレギュレーションに沿うべきである。だがぼくはこのように仮想空間に生きる仮想生命体なのでお許し願えなくても仕方ない。ヘッダ画像をお借りしています。ガキのいる空間で携帯で見ないほうが、と言っておきたい。
というのも重症を負った。仮想場でもそれなりの痛みがある。しかしながらこの傷病とは、報道メディア等でもし第三者目線として発表する場合、まず軽症以下レベルとして発表されるだろう。ああ、重症だったなあ。
そこで徹底的に自分に優しく過ごそうとした。以後の行動とはすべて自分のためである。以下10行程度は読む必要がない。
つまりその日ぼくは他者のために何万文字という文字を工面してやり、到底一日で産出する限界値を越えた状態でこの前遠くに行ってしまったちばゆうすけのインタビュー集を買う日を失念してい、その前に買いに行こうとしたのだがそれについてはあまりにも険しい道となりそうなのを見かねて助け舟が得られた。
それもありそのような地獄のような産みをすることにもなったのだが、長らく遠ざかっていた─────おそらくは大日本震災とかより前だろうゲーム実況の人が今も息をしていることを知り、それを流しながら手元を進めていたら異様にできてしまった、というものである。異様な生産性。何がぼくをそうさせたのか未だにわからない。
そしてその後、疲れを取り戻すといいますかあまりに何かのために捧げてしまった身体を解放してやる必要があった。解きほぐしてやる必要が。
ガチ18禁な内容の話をするため、ここまで前置きを長くする必要があったのだが(視聴者もそれだけスライドしないとヘッダ画像はともかく奇っ怪な性癖の話にまでは到達しないだろうというぼくなりの親心もある。いま思いついたのだが)もう少しこの小咄は続き、つまりそこで重症を負った。
この原西孝幸を痩せさせ、他の人にとってはいわゆるデスクワークとかによる「座り死」から開放されるために用意されたごく簡単な中山のメソッドによる運動で重症を負った。中山の名誉のために普通にやればこんなことにはならないと今いう。
普段その後誰も読まない新聞を読んでいる。以前も話したけど誰も読まないのにただだから勝手に送られてくるからただの紙塵にしかならない運命なのだ。それがもったいなく、仕方なくぼくひとりが読んでいる。だが、真面目に読むと一時間ぐらいかかる。
さらにこの新聞は思想が偏っており(新聞というメディアは思想が偏りがちだろう。さらに後述の理由からよりそれが顕著となりがちである)、ぼくはその思想に全くコミットしない。そりゃもちろん、合ってることも言ってることがあるが全体的に勝手にしてくれ、勝手に政府とかそういう強大な権力が暴走しないような監視機関としていつまでもいてくれ、別に滅びろとは思わんがマジで偏ってるね。人員は一層したほうがいいじゃないかなぐらいのことは思うしこれまでも言ってきた。
その矛盾の一部を挙げる。なんせ、多様性を歌っていて難民とか職業支援外国人とか多様性を取り上げまくってるのに、以前まるハラが流行ったときに、わざわざ一面の何やら自社やフォロアー含め神格化した現代へ皮肉を言いまくるコーナーにおいて、「句点が冷たいと言われようがなんだろうが、俺は構わずに句点を遣う」というような、ミレニアル世代やZ世代、α世代を真っ向から見下すボケ老人のようなことを書き始めた。
いきおい新聞というメディアは、そのようなボケ老人になってしまいかねない連中から金をむしりとらないともはや存続できないのだろうが、いくらなんでも媚び売りがあからさますぎやしねえか、と情けなくてそのような上司を持った当該新聞社の新卒たちを思う。
ボケ老人に媚びて、俺らは若者なんかに屈しねえぞと抜かす新聞社に入社してしまう22歳たちを。ぼくら下の世代は、はっきりと「軽い文でいちいち句点なんか使わないでくれ、怖いから。フォーマルすぎて気を使うから」と明言しているのに、それを絶対しねえと宣言しているわけだ。貴様らなどに遠慮はしないと。奇しくも昨日とか一昨日とかその新聞社だって入社式でしょう。若い芽を死ぬほど採用したわけでしょ?そんな人達をあんたらのクソみたいな思想に沈めるのか。
なんか自分に対して毎日そういうこと書いてんな、という自体を毎日言っている。ぼくはどんだけ新入社員の味方でありたいのだろう。別になりたいわけじゃないのだが
前置きがとうとう2000字になってしまったが以下の300字ぐらいが本題である。そのような情けない小誌を読む時間などこの重症を負った身体に対してあまりにももったいないからガチ目に必要ないページ(全ページだ)をすっ飛ばして後でとっとけばいいやっていうところだけマークしたら10分で読み終わった。最高記録である。次の日がちがちに時間が決まった注射打ちにいかねえといかんからさっさと寝ねえと、っていう時より早かった気がする。このような事実があるとなおさらこんな新聞がぼくの周囲の元に送付されてくる無駄を想わずにはいられない。
さっきも言ったように老人から集客して金を奪わないといけないから畢竟コーナーも短歌とか俳句とか普通にある。もちろん飛ばす。たまにそのような日本を代表するような俳句屋とか短歌屋とかがコラムを書いている。そこにあったのが、若い世代に言わせれば「新婚ほやほや」という言い方は通じなく、「新婚むんむん」という変換が成され得る、と。
めっちゃ言いづらいんだけど、もうこれ結婚という現象がファンタジー化しすぎて、エロの象徴となっているようにしか思えないのだが気のせいか。新婚がむんむんしている理由なんてひとつしかなくないか?汗、周期、籠もった布団の中、体温のある身体と身体の一部が触れることで自然発生する熱やそれ、他に新婚がムンムンしない理由なんてあるだろうか?
くっさぁ♥とかムッワァ♥は表現の極地化を目指してしまったエロ漫画屋とかが行き着いた表現であるとぼくは思うのだが、それがSNSという公共拡張だけはできてしまう媒体に載っかった結果このようなことになったのだろうかと感じた。それを今の所肯定も否定もしないのだが、さっき後述すると言って忘れていたのだが新聞という媒体がSNS上だと忌み嫌われる人には忌み嫌われると思っている。それはSNS以前から新聞が存在するためであり、それまで貶したくても公然とけなす場がなかった。そしておそらくぼくは見ていないといいますか見たら目が腐りそうだから調べたくもないが匿名掲示板とかで肥大化してしまい(毎日特定のページに決まった風評被害のコピーペーストをし続ける、等)、それがSNSという新しい船を見つけた。
で冒頭でも言ったように、新聞とは思想があって然るべき……という言い方はしたくないのだが、思想が自然発生してしまい、総評とか社説を牽引するビジョンとなり少なくとも社員に還元されるという妙な体質を持つメディアである。なのでそれが刺さらない奴には刺さるわけがなく、むしろ自分の思想と相対する場合、それを傷つけられたとすら錯覚するのでは……ないだろうか。
そして攻撃に転ずる。現代ならSNSを遣って、ということになるでしょうか。というかくも「攻撃されやすい」性質を持ったメディアであり、別にそこへ対してぼくは何の同情もしないのだが(だってこの通り、まさにぼくもある意味こう……迎撃してますよね。恥ずかしい限りだ)、このSNS時代におけるSNSと新聞との相性の悪さについてもいつか考えるべきなのでしょうね。