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漫画を商業的価値観で読みたくないからドロヘドロを読むしかない

久々にドロヘドロを読んだら全然違って見えてしまったのでアウトプットしています。ヘッダ画像をお借りしています。

以前読んだのがあまりにも昔過ぎて子供だったため物語への理解力が圧倒的に足りていなかったのかも知れない。あるいはかなりのマイナス環境で読んだため、あまりに漫画を暗いムードで捉えざるを得なかった。

ぼくが読んでいた当時はなぜか中盤からで、二階堂がなんか敵の妻にされそうになっとるわ主人公?のカイマンがさっぱり出てこないわで「寝取られやんけ~~~」とか思ってた気がする。寝取られなどという状況設定・世界観について理解してなかったかも知れないが、そういう感情ぐらいはわかる。

書き込み量

まず読み始めて書き込みの量がえげつないと今なら理解できてしまう。どれだけの人的コストなんだ、と……漫画の方法論的なものに目が行ってしまう。商業主義じゃないんだな、というのが理解できてしまう。まるで芸大卒したばかりの人が情熱というか情熱という名前すらついていないような、勝手に身体の中に湧き上がる情動だけで筆致を遺している感じのパワーを感じてしまう。

まずカイマンたちが着ている服に驚かされます。そのブリティッシュパンクのような細かいディティールに、トーンは使っているけどむしろトーンをわざわざナイフかなんかで削って光の反射を出していたり……

こま割りとか考えたくなくなっちゃうんじゃないかと思わされる。だってこまの数を増やせば増やすほど作業量が増えちゃうんですよ。紙の無駄と言われようと一枚絵一枚絵一枚絵なんなら見開き見開き……としてしまえばいい。実際してる漫画とかありそうで嫌ですが………

ただ、それをしたところで林田球なら紙の隅々まで書き込んでしまうでしょう。またこま割りをするたびに二階堂の住むマンションをあっちにもこっちにも書かねばならない。

ぐろ系

そしてお洋服なり環境のディティールを書きまくってしまうということは戦うシーンでもきっちり体躯がちぎられて中身がどうのこうのなってしまう部分まで書き込まれる。

ぼくは以前キューブという映画を観て楽しかったためnoteを書い……あれ!?!書いていない(ガチで書いたと思っていた)

ともあれぼくはグロテスクな描写が造り物だとわかっていても見れないんですが、キューブ(映画)は筆舌にし難いほど心が動かされました。

むしろぐろい描写を避ければ、興行収入的なものにより貢献しただろうにそれをしなかったということは撮影者の中できっちり書く意味が合ったのでしょう。だってキューブの部屋を横に2つ並べて縦のいずれかの方向にもう一つ作れば、あの映画の場面は全て再現できてしまう。そこまで美術のコストを削っていながら、顔がぶっ壊されたりの特殊メイクみたいなものにがっつり金をかけている。

ドロヘドロでもそれは同じで、ぼくはぐろ系がほんと無理なんですが、読めてしまう。さすがにキューブのように、はっきり「あー次にぐろいの来るわ」みたいのがわかれば目をそらしますが、林田球の場合だとやはりその書き込み度合いに感服してしまうのが先にくる。

でそういう描写があるってことは暗い話であるはずなんですよね。暗くて残酷なはず。ぼくはもちろん暗い話も興味がわかない。子供の当時それも合ったのかも知れない。周囲環境がネガティブであり、読んだ漫画からは同じようなネガティブさしか受け取れなかった。だから当時は暗い漫画だとしか思えなかった。随所に散りばめられたおもしろにも目が行かなかった。

だけど今読み返すと明るく思える……それはもちろんカイマンの性格とか二階堂が美人すぎてかっこいいとか色々あるんだと思います。

それについてはまた次回。また一週間が始まりますが手を抜いて行きましょう。

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中村風景
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