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太陽に焼かれて殺されたダニの香りの芳香剤を売れ 第33.5話 脱ぎ捨てた口笛

「じゃあ誰もいない部屋から鳴る音は、おばあちゃんの影とは関係ないように思うのか」

俺と浅荷は、モールに着いて早速買った靴を店員から袋に入れて渡されるのを待っていた。

この後またその話聞いてくれる?と尋ねられてから、ずっと黙りこくってしまった。いいのか?と思ったけど、また訊いて良いかの合意が得られたから黙っている、その時のためになにかをフル回転で考えてるのであれば別に黙っててもおかしくないか……と考えた。

「うん……」

モールには川か湖かよくわからん水辺を眺め尽くせる庭があり、大量に椅子が置いてあった。俺たちはそこに座っていた。

浅荷と俺は、モールの庭から見える広い湖を眺めていた。青々とした水面が穏やかに揺れ、そこに映る景色がぼんやりと薄れるような感覚がして幻想的だった。浅荷は視線を湖面に落とし、考え込むように指先で湖をなぞるような仕草をしている。

「ここ、夜になるとどうなるんだろう」
俺がなんとなく呟くと、浅荷は少し顔を上げて答えた。

「きっともっと静かになって、あたりも暗くなるんだろうね。でも、そういうところに誰かいたら……本当にその人が生きてるかどうかも、わからない気がする」

浅荷の声はどこか遠い響きがしていて、俺は彼女の言葉にドキッとした。
湖に映る景色がまるで別世界への入口のように感じられてしまう。
「……まさか、おばあちゃんの影もこんな感じで見えてるとか?」

浅荷は湖面をじっと見つめたまま、うっすらと笑みを浮かべた。
「ううん、違うよ。でも、おばあちゃんの影が見えたときも、こんなふうにぼんやりと何かを映しているような感じがしたことがある。思い出って言えばいいのかな、目には見えないけど、確かにそこにいるような……」

「でも、音のほうは違うんだな?」
俺が問いかけると、浅荷は一瞬ためらうようにしてから、頷いた。

「そう、音はなんか、もっと現実的っていうか冷たい感じがする。湖を見てると静かで落ち着くのに、家の音はなんだか不安にさせる……」

彼女の言葉が途切れると、風が少しだけ吹いて、湖面が揺れた。水のさざ波が陽の光を受けて、キラキラと輝きながらさまざまな形を生み出している。何かがそこに映っているわけではないが、見ているだけで心が落ち着く。

「その音も夜だけ?じゃないか。今おたくから電話があったんだ」
俺が聞くと、浅荷は静かに頷いた。

「その『何か』も幽霊?」
冗談っぽく言ったつもりだったが、浅荷は少しだけ頷いた。
「そうかもね。幽霊とか、湖に眠るものって、ある意味似てる気がする」

彼女が湖に視線を向けながら話すのを聞いて、俺は彼女が幽霊というものをどう捉えているのかが気になり始めた。
「幽霊も湖も、いつもは見えないけど、でもそこに確かに存在してる気がするってこと?」
「そう。普段は見えないけど、何かのきっかけで姿を現すようなもの。あの部屋の音も、どこかその感覚に似てるんだ」

「なるほど。ってことは、その音も一種の『きっかけ』ってことか?」

浅荷は湖面を見つめたまま、小さく頷いた。
「そうかもしれない。ずっと無視してたら、そのまま消えるのかもしれないけど……一度気になりだすと、何か伝えようとしてるように感じてしまう」

俺は湖を見ながら、彼女の言葉の意味を噛みしめていた。湖面に映る景色は穏やかで、風がそよぐたびに小さな波紋が広がっていく。そこに何かを映し出すこともなく、ただ静かに揺れている。

でも恐らく、浅荷には違うものの形が見えてしまっているのだろう。

「その音が何かを伝えようとしてるなら、俺もそれを見るのを手伝うよ」

「え、手伝うって……」

「もし一人で探すのが無理なら、俺が一緒にいる」

浅荷は一瞬だけ考えるように湖面に視線を落とした後、頷いた。

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中村風景
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