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煙草屋の裏手で破り捨てた童貞と
(物語)小ぎたない恋のはなし:Ex13
前回
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基本的にくぐもった声で僕は話すだろう。起きてから一度も声を発していないからだ。
それでは営業努力が足りない、と誰かが言うだろう。僕はその言葉に興味がわかないから自分を高める努力なんてしない。そもそも朝一にきちんと声が出ることなんて自己実現や営業行為に関係がない。家から出社する際に、自社を経由しないで得意先に行く生活を一生誇っていればよいだろう。
言葉を発さずに生きていられる社会基盤が整いすぎている。僕はそれに助けられている。
挨拶をしないとキレ始める前時代の住人たちの浅はかさを僕は思う。現世、声を交わすことは必ずしも礼儀に沿った行為とはならなくなった。
あるいはデリカシーがないとさえ思われるだろう。朝出社して飯を食っている奴に無理やり挨拶させた、反応しようとした良い奴の口から食べ物が吹き飛んだ。貸与されたコンピュータ・システムに張り付いた。こんな汚い話を僕はしたくない。する必要がない。
僕は難しいことを考え続けるのに疲れていた。心から愛していたストリーマーのサブスクライブを解除した。これでもう彼女/彼らが新しく何かを始めようと、僕の耳には届かない。再び僕が歩み寄らない限り。
僕は妾の子だ。僕は僕と同じ思いをしている人を求めがちだったが、そこまであまりにもプライベートに踏み込んだことについて公表できる根性を持ち合わせた人なんてインフルエンサー程度の中にすらいなかった。
あるいは僕が全く好きになれないジャンルのインフルエンサーにはいたかも知れないが、それ以外の部分で共感するなんてまず無理だろうからどうでも良かった。
僕は幼少の頃に出会った少女が、僕と同じ妾の子であることを知った。彼女と一緒に帰って、色んな変な話をした。彼女は子供のくせに映画まがいの何かを撮ろうとする意欲に溢れた変な子供だった。
るなという名前だったと思う。僕は彼女のことを――――――彼女に限らず異性に話しかけるのは恥ずかしいから異性なら誰でも――――――名字で呼んでいたのだが、その割に彼女の名字が全く思い出せない。
子供の頃の記憶で思い出せないものはないはずだと思っていた。高校、大学、社会……と育つにつれて、ガキの頃に覚えたことはすべて長期記憶となる現象について恐ろしく思った。幼少期に覚えた記憶は強すぎると。
大人が口を揃えて、子供の頃に勉強しておくべきだとか言う態度を表す度に僕はうんざりしていたが、ガキの長期記憶が保てるうちに、という一点だけにおいては納得する。
るなとは色々な話をしたが、多分彼女の話をほぼほぼ一方的に聴き、たった少しだけでも何らかの反応を僕が返したことが僕のアウトプットになり、自分で自分を客観的に見つめ直す、ひいては人格形成に至るきっかけとなったのだと今は思う。もちろん人格形成とは子供の頃に出会った少女だけから形成の礎が得られるわけではない。あくまで形成の成分のひとつでしかない。
それだけに名前しか思い出せないことが不思議でならない。別に僕はるなに恋していたわけではなかったはずだった。つまり当然、想う相手のことを思いながら、更に相手の名前を呼びながら自慰行為に至ることもなかった。僕は実在の人を思い浮かべるタイプの自慰行為は得意としなかったし、性行為全般においてやはり声を出す必要性を感覚的に持てなかった。
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次回
(ヘッダ画像をお借りしています。)
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