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アリゲーター・ナイト・福田 潰れたピーコの上

昨日も情熱大陸について書きましたが、今日もそうです。ヘッダ画像をお借りしています。

ただ昨日のはなぜかずっと録画に入っていた5年以上前ぐらいの村上虹郎だった。今日のは昨日2023年配信された鰐研究者のでした。

研究者系の情熱大陸には異様な価値があるとぼくは思っていて、過去何度も書いてる情熱大陸の感想は医者とか開発職?とかそういう人ばっかだった気がする。別にタレントとかがつまんないとは言ってなくて、錦鯉が優勝した次の年かなんかの情熱にすぐ出たのはよくオファー間に合ったな、と思ったものだった。

研究者の生態がわかることは普段ないから、情熱大陸がそれを明らかにしてくれることには強い意義がある。ほかにセブンルールも軽くそんな感じでした。でも終わっちゃった。

ノンフィクションはなんか人様を見世物にしているようにだんだんシフトしてきているように思える。いつの間にか見なくなってしまった。

あと種別は違うかもだけどドキュメント72も知らない店の生態が知られて保存すべき番組だと思う。Tverで見返せるようにしないのは文化の損失だと思う。あとプロフェッショナル。

今回の情熱大陸はその点で特筆すべき点しかない。なんせオーストラリアに住んでいて、鰐という謎の生物の研究者だ。しかも鰐が単純に好きすぎて、鰐がそこにいるという現実がいつまでも続いていてくれれば別にほかに望むものはないというほど。

その自発的な研究心および成果は、現地の権威ある研究者からも尊重されているほどであり、つまり彼にも強い権威がある。好きだというだけでそこまでいってしまった。オーストラリアに何十年も住んでしまった。

鰐はオーストラリアの北部分、ダーウィンに住んでいるらしい。ダーウィンには川がたくさんある。そこで福田雄介は川が学び舎であり研究機関であり現場であるため、好き放題川に出るためにモーターボート的なものまで所有した。

モーターボートは商売道具である。現地に住まなければならないし、川に小舟で出たら逆に研究対象に食い殺されるだろう。そこまでの情熱があるのだ。いや情熱大陸だからって、必ずしも情熱を見せられるとぼくは予定調和を感じてドン引きするんだけど、今この文を書いててこの言葉が自然に出てきてしまった。勝手に感じ取ったことだ。

福田がモーターボートを買うのは自然なことなのだろう。生活インフラとして自転車を買うのと全く同じことだ。そして福田は、もはや自分が鰐の何から何までを知るために生まれてきたのだという自覚があるらしい。自分の世の中に対する自覚がある状態とは幸せだし運がいいし希少な機会であり、努力でそこに至るのもすごいし、至ってからも自己努力が必要そうで想像だにできない。

ぼくは福田がモーターボートに乗り込むところを見て、素直に楽しそうであると思ったんだけど「これを毎日やること」について想像してしまうと、朝起きて目の前に川があって、モーターボートの準備をして乗って鰐を見て帰ってモーターボートのメンテナンスをすることについても考えないわけにはいかんかった。

果たしてぼくにはそれを毎日楽しめるだろうか?福田は間違いなく楽しんでおり、ぼくが見る限り福田が苦労したり心を痛めていたのは、現地で鰐の数が増えてしまい観光客を食いそうになってしまったニュースにより鰐の数を減らす政策が取られんとしているあたりだった。

もちろんほかにも海外に住む日本人ということで計り知れない苦労はあるだろうが、ありきたりな言い方になっちまうけど好きで居てもそれを持続させなければならないし好きだけじゃどうにもならないことすらありそれが苦労でしょう。

でも福田以外の人々はそれを知らない。知らないとオーストラリアでかつて鰐が減りまくってたけど今は増えてきたということも知らない。そこに日本人がいるということも知らない。

つまりNHKは未来のために、ドキュメント72やプロフェッショナルをTverで見せるようにしてくれないだろうか。

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中村風景
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