岩谷ホースノンの会長のテレビ
日経スペシャル 関西リーダー列伝~キーパーソンの成功秘話~を見ました。今回はその感想です。
見た回は「#3 岩谷産業株式会社 牧野明次会長」。岩谷といえばガスの原料が有名だということですが、ぼくはラジオ(深夜の馬鹿力)で伊集院がふざけて言っていた何か未曾有の災害が起きたあるいは起こることに備えて、「岩谷ホースノンが必要になる」ということばで初めて知ることとなりました。「岩谷ホースノンを買ってないことに対してこれからは家長が怒る時代が来る。お父さんが帰ってくるなりただいまって言わないで『ホースノンは!?ただいま』みたいに」。
牧野氏は企業のトップに所属する人で80歳という後期高齢者ですが、関西商人のよろしくない感じがないどころか全くぎらぎらとかはしていなく、物腰も落ち着いていてほぼ全員年下であり同業者もそんないないだろう番組参加者に対して徹底して礼儀を欠かさない対応をしていました。話し方も明朗で、大多数が気に入るかどうかは置いておいて銀しゃりの橋本のようにはきはきと話す。
ぼくはそういう人をあまり見たことがなかった。もちろん彼自身の処世術で、顔は使い分けるものであるとしているのかも知れない。
牧野(以下敬称略)は岩谷の創業者ではないが、創業者のもとで相当の信頼を得て、2000年から現職となった。巨大水素プラントを立ち上げるなど水素に関する功績が呼び水となり、株価が2020/09からだいたい上がっている。しかしながらそこまで簡単に今の姿にこぎつけることはできなかったそうで、その人生を振り返るというもの。
水素自動車
ところで岩谷ホースノンとはなんだろうと今の今までぼくは知らなかったのですが、
卓上型携帯コンロのブランド名的なものだった。つまりぼくがイメージしていたような何か未曾有の空気的災害が来てホース上のなにかで適切な空気をキープするというような商品ではなかった。正式名イワタニホースノンカセットフーは1969年に発売された。
その後1976年には容器内の圧力検知により自動で火を止める機能を内蔵するなど岩谷はまさに水素の魔法使いとも呼べるような業績を立ち上げている。
そのような事実に呼応するように、冒頭で紹介された牧野のキャッチフレーズはMr.水素というものでした。
さて岩谷はTOYOTAのMIRAIという水素自動車を現在開発しました。そもそも日本で初めて水素自動車が造られたのは半世紀前だったようです。
武蔵工業大学が1974年に作業者のような見た目の「武蔵1号」を開発し、実際に公道で走らせた。当時のカラー写真では警察車両的なものが側を走っています。
翌1975年にはすでに岩谷が開発に参加し、武蔵2号が完成した。燃料を圧縮水素から液化水素に変え、軽量化できたそうです。上記と同じく東京都市大学が提供するカラー写真では1号とは大きく異るアメ車のようなデザインになっている。
さらにもともと知名度の高かった乗用車である日産Z32型フェアレディZの水素エンジン版が1990年あたりに開発された。MAZDAはロータリーエンジンを水素向けに改良して「RX-8ハイドロジェンRE」を打ち立て、すでに広島やエコ先進国のノルウェーで走っているという現状を得た。
バス
西日本では乗用車より早くバスに水素燃料を取り入れた。現在神姫バスはTOYOTA「SORA」を1台買い、今年から姫路駅発着路線で毎日使っている。客は振動が少ないと感じていて、心地いいという。高齢客もたった1台しかない水素バスを認識している。
もちろん外観が大きく異なりわかりやすいのかも知れない。車体背面の通常ディーゼルエンジンが格納される場所には電気モーターが設置される。上部には水素タンクと燃料電池。値段は従来のディーゼルエンジンバスの5倍ほどの1億円、燃料費は3倍。コストダウンにより間違いなく広まると神姫バス広報が語る。
このバスの運用のために岩谷は水素ステーション「イワタニ水素ステーション兵庫姫路」を建設した。水素自動車がステーションなしには動かせない以上、これはほとんど協業といっていいような……いや水素バスはお売りしますけど、どうやって燃料補給するかは保証外です、となるのがビジネスかも知れませんね。どちらでも良いことでしょう。
水素ステーションでの燃料補給は見た感じ石油のそれより簡単である。ハッチを開けて供給アタッチメントを接続するだけ。かかる時間は10分。200km走行。
200kmというとだいたい東京から愛知県に入れるかな、どうかな或いは新潟の海岸まで行く前にエンストかな、ぐらいの距離。すごいですね。福島には間違いなく行ける。関東圏内なら余裕で行けるということになります。
次回は牧野のドキュメンタリー部分、そして社長就任の2006年我が子のように建設し育てた商業用液化水素プラント「ハイドロエッジ」について。お読みくださりありがとうございました。