3:病院での出来事
目次
・お産をするとき
・生死をさまよう
・私は幽界にいたのか
・病室での出来事
・退院そして、再入院
・またもや手術
・お産をするとき
私の時のお産は、1か月早産で、その日は朝から高熱がありました。
体温計で測ると42度の目盛りを超えていました。
陣痛があると婦人科に問い合わせると、
5分おきになったらまた連絡をくださいとのことで様子を見ると、
あっという間にその間隔になり、再度連絡し病院に行き速攻に分娩室に。
呼吸法の知識はありましたが、
「う~ん」と唸ると、空気が漏れるからダメと注意されて、
無言で力んで、フーと緩んだら少し出てきて、休んで、
また陣痛が来たら吐いて少し出てくるという繰り返しです。
子供は、グルグルと螺旋を描いて回転しながら下りてきます。
排便も同じ原理です。フゥと吐いて緩んだ時に出てきます。
私たちの身体は、
手足の指先、頭上に渦巻きがあります。
出発から終点まで、
渦巻きで回転しながら、エネルギーが流れています。
宇宙も同じで、
陰陽が左に右に回転しながらエネルギーが動いています。
食事を切り替えて、調子が良い時と、
具合が悪くなる時がありますが
これも以前と同じ浄化だとしても、
螺旋状に進化成長されているはずです。
だから、痛みや、不安感の減少があるはずです。
定期的に陣痛が来て力んで緩んで出てくることを繰り返し、
頭部の一番大きい部分で止まると痛みがマックスになります。
けれども女で生まれた以上、耐えられるのです。
そういう仕組みに作られているのです。
宇宙の愛です。
この時のお母さんの食事で、お産が軽くなるか、
重くなるかが分かりますし、
両親の食事で、男女の産み分けも出来ます。
ぐるっと回ってスポンッと生まれてきました。
可愛い子猫の様な小さい鳴き声が聞こえました。
わぁ~!可愛い声!!!
やっと産まれてきてくれた感動は、
スッキリした感覚でした。
首には3重にへその緒が巻き付いていました。
へその緒が長くなり巻き付くとは、
母の身体が大分陰性になっている証です。
男の子だよ~と看護師が教えてくれただけで
対面もせずに外に連れていかれてしまい、
え~っ!!!会いたいのに、
抱っこしたいのに~って寂しくなりました。
子供は外で待っている夫と夫の両親に対面して、
さらに姑さんに口づけされたらしいのです。
息子の初めてのファーストキスを私ではなくて???と、
おったまげったぁ~。。。
・生死をさまよう
そのまま、子供は保育室に入れられてしまい、
私はその後に大量出血で、子宮全摘出手術をし、
ICUに入り、息子との対面はずっと無しになります。
母乳は、医師に乳首をつままれて
出ているから薬で止めると言われて、
お乳も上げられないどころか、
自分自身が生きるか死ぬかのどん底になりました。
子宮摘出は下半身麻酔で手術していますので、
医師の声が聞こえます。
自分の血液がすべて流れるくらいに出血している中で、
ウトウトと気持ちよく眠りそうになるのを、医師は、
「目を開けてください、眠ってはだめだよ」と何回も言われて、
真面目に素直な言う事を聞く私は、こらえて目を開けていました。
このまま眠ってしまうと死んでいたかもしれませんね。
・私は幽界にいたのか
ICUに移りベッドで眠って目を覚ますと、
昼なのか夜なのかもわかりません。
視力が悪いこともありますが、
夜の部屋の中ではいろんな物質がゆがんで動いていました。
まるで、
ゲゲゲの世界のように赤ちゃんのアメーバなどがいましたし、
窓は4階なのに、
小学生の子供たちがたくさん覗き込んでいました。
両親が私に目を覚まして生き返って欲しくて、
ある先生に相談しお願いしてくれました。
それは遠距離の先生で
レイキヒーリングをする方でした。
寝ている私に母が、
「電話の受話器を取ってごらん、
そこからエネルギーを入れてもらえるよ」と言い、
素直に私は腕を上げて、物質としてここにない
電話の受話器を耳にあてがいました。
その受話器から、微かにエネルギーが流れているようでした。
私は、生命力が高まり、元気になりました。
とても不思議な体験でした。
そして、両親はプラズマエネルギーという器具を
1日中振り続けてくれていました。
夫の両親も少しの間振ってくれていましたが、
こんなものより札束を振ったほうがいいのでは??と感じたそうです。
銅を巻き付けただけの器具ですから、
こんなものが何の役に立つのだろうと
不思議に思うのは無理もありません。
今は科学が進歩し、
銅線を巻き付けると宇宙エネルギーが発動することが分かっています。
宇宙エネルギーは、
プラズマエネルギーであり、生命創造のエネルギーです。
医師もひそかに一つ持ち込んでいたらしく、
これで治ったのかな?不思議だな?と
お試ししたあとに、返してくれました。
医師たちは、私のことを呼吸もできなくなり、
死ぬと覚悟していたようです。
でも、両親は諦めず、信じていました。
必ず生きて帰ってきてくれると、神社の祈祷もしてくれました。
呼吸をしていないから喉を切開すると言われて、
それだけはやめてくださいと懇願して、
切られることは阻止できました。
これをすると一生自分の声が出ないそうです。
でも夫は、仕方がない、
医師がそういうならと認める方向だったそうです。
鼻から器具をさし込められたので、喉を切ることは無くなりましたが、
この人工呼吸器は、
こちらの都合なく機械的に空気を無理やり入れてくるので、
とても辛く感じました。
身体は極限まで行き、
体力を消耗しないように呼吸を止めていたのですから。
母が、眠っている私にずっと声をかけてくれていました。
「お姉ちゃん、今どこにいるの?
お母さんたちみんな、
ご飯を食べないで帰ってくるのを待っているよ、
早く帰っておいで」と。
私は、この言葉を聞いて夢を見ました。
と言うより意識が動いたのです。
周りの景色は? 今はどこ?
みんながご飯食べないで待ってくれているんだ。
早く帰らないと・・・と。
周りはうす暗いのでした。
ああ!夜なんだなぁと感じます。
どこかな、とよく見ると花畑が広がっていました。
ああ!花畑で遊んでいて時間を忘れてしまったんだぁ~、
ご飯も食べずに待たせてごめんなさい、
すぐに帰るからね。と。
そして、私は生死の境を潜り抜けて、生き返ってきました。
・病室での出来事!
息を吹き返してからのICUでは、
週に1回は、レントゲン撮影で、
また肺、脳、心臓の検査をされていました。
ある先生には、「覚えていないでしょう。」と言われ、
先生の名前や今の日にち、簡単な計算を聞かれて、
脳の機能の確認をされましたが、
妹が笑いながら、
普通の時もこの質問はできないと答えていました。
私の枕元は点滴の注射がたくさん付いており、
暇を持て余して点滴をいじり、
点滴が落ちないように動かして触ってしまい、
担当の看護師さんが怒られて、私がしたことを謝ったり、
おむつをしていて、
気持ちが悪いのでおしりを触って手にベッタリ便を付けて、
黄色い色を見て、
パインキャンディだわ!おいしそう!って思ったり、
ニヤッと笑い、いたずらをするので、
すぐに分かったと妹に言われました。
私っていたずらっ子だったんだわと、
初めて気がついたのです。
ボケるとまたこの性格が出るのかしら?
この時に処置してくれた看護師さんの中にも
小学生時代の同級生がいました。
私は幼い顔立ちで変わらないから、
すぐに相手は気がついて、声をかけてくれます。
出血が収まり、
婦人科病棟へ移動してもすぐには起き上がれず、
便をしたいと看護師に言うと、
見ててあげるから寝ながらベッドでしなさいと言われて、
別の中学時代の同級生に言われて、
恥も外聞も無くベッドの上で踏ん張ったのです。
それはエッ~となりますよ。
でも、恥ずかしいなんて思っても、どうすることもできません。
まことに、病院の患者は牢獄です。
良くマクロビオテックの創始者故桜沢氏が
病院は牢獄であると言われていました。
自由が無く、医師や看護師の言いなりになることしかできません。
起き上がれるようになっても、
トイレまで動けず、部屋にポータル便器を置いてもらい、
それで用を足しますから、同室の方にも聞こえるし匂います。
カッコいい二枚目の医師が診察に来ても、
妊婦用のドデカパンツで恥ずかしいなんて言えません。
グッとこらえて、我慢あるのみです。
・退院そして、再入院
出血が止まったので、いよいよ婦人科を退院することになりました。
我が家に戻り、わが子を抱いてとても可愛いのです。
でも、数分しか抱けません。
大粒の汗が噴き出してきて、どっと疲れます。
おむつを替えるのも片手で数えるくらいしかできませんでした。
退院しても体の不調は続いていて、週に1回の検診で疲れ果てます。
そして、血液病棟に再入院します。
この時にC型肝炎と診断され、
のちに膵臓も悪いかもと言われました。
毎日、毎日、検温から始まり、検査と食事と寝るだけですが、
大部屋なので、人間関係も発生してきます。
まな板の鯉のごとく、
医療のコンベアーでの流れ作業の一つと考えて、
恥も外聞もありませんし、
薬も検査も出されるまま、されるがままです。
胸が痛いと言えば、
精神薬を「ハイ」と手渡され飲ませられる、
腹が痛いと言えば、
鎮痛剤の注射をブスブス刺される、
その過程での説明や、納得したかの了解も無しで、
結果、
薬の量が多かったね、ごめんね、
効き過ぎたからしびれたね。だって!!!
まともな感覚ではいられない恥ずかしいことの連続です。
大部屋に移されても、
安静第1と言われ、トイレに行く回数が多いので、
医師に歩きすぎだと注意されてしまいました。
えっ~、
トイレに行っただけなのにとふくれてもダメです。
・またもや手術
トイレに行く途中に隣の大部屋に目をやると
誰も部屋の患者は居なくて
付き添いの人が一人しかいない部屋で
似合わないバッグを取り出しているのがみえました。
変だなと思いつつも忘れていました。
その後にバッグからお金が盗まれたという情報が入り、
あの時のあの人が・・・。
現場を目撃していても、
何のことだかわからず忘れるものですね。
その時あまりにも堂々としていたので、まさかと思いました。
次々と入れ替わり退院していく患者を見送り、
私はボーっと寝るばかりでした。
そんなある日に子供が遊びに来てくれて、
おむつを取り替えるときに
ピューとおしっこを噴水のように飛ばしたのです。
可笑しくて一気に大きく呼吸をしたために、
肺がパカンと音を立てて割れました。
肺気胸です。
胸が苦しい、圧迫される、呼吸ができない、虫の息になり、
肺は、管につながれてまた寝たきりになり、
トイレも部屋の中になります。
下半身麻酔から数か月後に全身麻酔をして
肺気胸の手術をしてから落ち着いて
たまに日帰り、外泊をして慣らしながら、
数か月後、お産から約10か月で退院しました。
丁度、端午の節句で、
飾り人形を出してあげるとニコニコ笑顔で、
とっても、メチャンコ可愛いです。
でもまだまだ、自分のこともままならない状況でした。
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