ファイナルファンタジーXⅤを15周しているハナシ
2018年の初夏にロイヤルエディションを購入して以来、ファイナルファンタジーXⅤをかれこれ15周繰り返している。
発売当初インターネット上にあがったレビューが賛否両論、というよりも否よりの意見が気になって二の足を踏んでいたのだが、たまたま遊びたいゲームがなかった時に会社の後輩から勧められたのが購入のきっかけ。
もっとも、最初の数周は好きだったから繰り返したわけではない。1周目はアップデートせず素のディスクのままで遊んでいた。アップデートしたあとに2周目をクリアしたけど、特典のロイヤルパックをネットからダウンロードしていなかったことに気付き、ようやくロイヤルエディションとしてクリアしたのが3周目だった。
長らくゲームから離れていて、ネットに繋げてアップデートしたりDLCを追加していくという今時の遊び方を知らなかったがゆえの悲劇。その意味ではFF15のおかげで色々と勉強することができた。ただ、ロイヤルパックはネットからダウンロードしてね、ともう少し分かりやすく表示して欲しかったぞ。
こうして繰り返しているうちに、あっこのゲーム面白いじゃんと思うようになり、以降毎年繰り返してきた。ロード時間を短縮するために購入したSSDドライブは現在2台目。ゲームソフト1本のためにこれだけ投資したことは多分初めてのことだ。
なぜこれだけ繰り返しているのかというと、広いフィールドを好きなように巡れる自由度の高さと、目的地へ向かう過程が楽しいからだ。
先日、発売から7年の節目を迎えたFF15。今もなお周回プレイしているわけについて語ってみたい。
自由過ぎるオープンワールドパート
前半はオープンワールド、後半はリニア一本道と大きくふたつのパートに別れているFF15。比較的早い段階で、ほぼ全てのフィールドをまわれる仕様になっている。
本来ならだいぶ先に訪れるような場所でも、クリア後でも難儀しそうなダンジョンでも、行こうと思えば自由に行けてしまう。
先に色々なところに巡っているあまり、メインストーリーをほったらかしにして、気がつけば前半でクリアできるレベルに到達している、なんてこともざら。
順路通りに巡ったり、ちょっと背伸びして難しいダンジョンを先にこなしたりと周回ごとに巡り方が違うので、何度繰り返しても飽きがこない。
好きな場面のひとつが、オープニングイベントが終わってフィールドに立った瞬間。一面に広がる風景を見て高揚感は、何度繰り返しても色あせることがない。
目的地に「向かう過程」が楽しい
オープンワールドのRPGでは定番となっているサブクエストは、目的地に着いてからが始まり。依頼主の話を聞いたり手がかりを追跡するなどしてゴールを目指すのが一般的だ。また多くのゲームではサイドストーリー形式になっているものも多く、登場人物の背景を深掘りしたり、ゲーム世界への没入感を高めている。
一方FF15のサブクエストは、指定された敵をやっつけるか頼まれたアイテムを拾って届けるお使いイベントがほとんど。ストーリー性もなければ没入感を深めるイベントも殆どない。
その代わりではないが、本作には他のオープンワールドのゲームにない、「目的地に向かう楽しさ」がある。
向かう途中の先々で、トレジャーを拾ったり、釣り場を見つけて釣りに興じたり、暗くなったらキャンプを見つけて夜を明かすなど、寄り道の要素がふんだんに取り込まれている。
また、複数のサブクエストをこなす際どんな道順をたどっていこうかということを考えながら進めるのもまた楽しみの一つだ。
絶対に欠かせない車の存在
FF15の主な移動手段である車。道路上を高速で移動する本作になくてはならないこの車の存在が、他のRPGと一線を画した魅力を出している。
一度行ったことのある場所に向かう時、多くの場合はファストトラベルを使って移動するだろう。道中で敵との戦闘になるし、何より時間効率が悪い。
一方、FF15では車に乗って移動している間、特定の条件下を除けば敵との戦闘が発生しない。移動している最中は戦闘の心配をすることがなく、FFシリーズ特有の綺麗な風景を存分に眺めることができるのだ。
さらに移動している最中は歴代FFシリーズの名曲を流すことができる。森林地帯でXⅢの「サンレス水郷」を聴きながら移動したり、Xの「いつかおわる旅」を聴いてホロリときたり。過去の名曲を聴きたくなってあえてファストトラベルを使わないこともある。
もしFF15で車がなかった場合、フィールドの移動が冗長になってしまってここまで繰り返すことはなかっただろう。それだけ、車は本作において重要な位置を占めていると言える。
苦痛の一本道を耐えた末に迎えるラスト
楽しいオープンワールドの旅から一転、後半の一本道は苦痛の連続だ。
イグニスは失明し、グラディオラスの嫌みや罵声を背後に浴びながら進むダンジョン。武器を取り上げられた状態で彷徨うことを余儀なくされる敵要塞。罵声は聴くに堪えなくてミュートしているし、敵要塞は簡単なルートを選択してさっさと終わらせるようにしている。
そんな苦痛な行程の果て、主人公のノクティスは最後命を落として世界を救うラストを迎える。神の一柱バハムートに「死んで世界を救え」と言われてその通り命を落とすのだが、あまりに唐突すぎて最初の頃はえっという感情しか持てなかった。
同じ主人公が消えるラストといえば、真っ先にファイナルファンタジーXを思い出す。Xの場合は主人公がいなくなるまでの過程が丁寧に描かれていたからこそ終わり方が泣けたのだが、XⅤは終盤まで死を匂わせるような描写がなく、突然神様から自己犠牲を強要される。
しかもこのバハムート、イフリート戦で援護に駆けつけたものの攻撃が全く当たらない。お前何しに来たんだよ。
ちなみに小説版では、バハムートが諸悪の根源として扱われており、最後はノクティスたちによって討伐されている。
これだけ何度も繰り返しているとキャラクターへの思い入れも増してきて、1回くらいノクティスが生き残る結末を見てみたいと思う。無論そんなエンディングが入っているわけはなく、何度繰り返しても最後はノクティスは死んでいく。
生きて旅を続ける世界線のクリア後
一本道突入後、宿で「過去のルシスに戻る」を選択すると、もとのオープンワールドに戻ることができる。戻るというよりも一本道に入る直前の世界に戻れると言った方が正しい。
物語を進める上で整合性を取るために作られたと思うこの設定を、自分はクリア後まで使わないようにしている(厳密に言うと真ファントムソードのアクセサリを取りに行くために一度だけ戻ってはいる)。
クリア後まで戻らない理由は、ノクティスが生きている世界線を存分に楽しむためだ。
エンディングを終えてプレイを再開して「過去に戻った」時、そこには広いオープンワールドと、一本道ルートに入る前の4人がそのままの姿で現れる。
現在のルシスに戻れば夜しかない世界でのラストバトル直前なのだが、過去に戻ったのではなく、ノクティスが生き残っている別の世界線だと思い込むようになった。
真っ暗な夜だけの世界ではなく、日が昇って沈む元通りの世界。
グラディオラスはヒステリーを起こさない。
プロンプトははしゃぎながら写真を撮る。
イグニスは失明することなくキャンプで食事を作ってくれる。
そしてノクティスは「あちぃ」だの「だるい」だのボヤキながら歩いている。
まるで一本道になってからの出来事がなかったかのように、王家の使命を背負うことなく、旅を続けられるシチュエーションがたまらなくすきだ。
おわりに
こうして振り返って見ると、FF15は自分なりの楽しみ方を見つけるゲームなんだと思う。
決して名作ではない。メインストーリーは短い上にプレイヤーを置き去りにしているし、サブクエストの内容は薄いものばかり。途中からは一本道になるし、縛りプレイは苦痛でしかない。
FF15を周回している間、他の和洋の賞を総なめにした作品や、評価の高かったオープンワールドのRPGをプレイしてきたし、実際秀でている部分がたくさんあった。でも、FF15以上に繰り返し遊びたいと思うゲームには巡り会えていない。
好きなように周回して探索し、釣りやトトカルチョに興じたり、車で過去作品の音楽を聴きながら目的地まで向かったり。そこになにかイベントが待っているわけでもない。何も起こらないところが楽しめる。それがファイナルファンタジーXⅤ最大の魅力。
チョコボで世界1周をした。
釣り場を巡って全ての魚を釣り上げた。
レベル1縛りでクリアもした。
他にも色々な遊び方をしてきた。今年も既に2周しているが、ささやかだけど新しい発見をしている。この先もきっと定期的に繰り返すことになると思う。
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