精神年齢の高いパートナーを持つと人生の質が格段に上がる件について
子供の頃にはっきりと覚えている光景のひとつ。
母に祖母が友人の話をしていた時のこと。
「XXさんがね、旦那さんのことを神様って崇めているのよ!本当に素晴らしい旦那さんみたいでね、XXちゃんは好きなことをしていればいいんだよってすっごい優しいんだって。神旦那ってね!いいわよね〜」
両親が同い年で、月に1度は夫婦喧嘩に深夜まで付き合わされてきた私は、まだ6つくらいだったのだけどこの神旦那というやつに憧れた。きっとその家に喧嘩は皆無なんだろう、いいなあ。
大きくなって結婚するなら私も神様みたいに優しい旦那さんがいい、と神様に誓った。
わがままな性格からか歴代のボーイフレンドは優しい人が多かったけれど、神と思えるほど人に出逢えたのは27歳の時。
そういえば最初のころから連絡がくるタイミングが完璧だった。まるでこちらの様子が見えているのではないかと思うくらい。
もう一緒にいて随分と経つけどこの人はやっぱり神様なんじゃないだろうかと感動する瞬間が時々ある。
noteのタグ企画で #習慣にしていること を見つけた。私には習慣という習慣はないけれど、今日からパートナーに神を感じることがあれば、ここに書き記すことを習慣にしようと思う。
単なる惚気ではなく、この人生の中で愛に触れた証拠、そして自分もパートナーをはじめ周囲の人に愛を与えることができるように。
第1回目は先月箱根でのエピソード。
相手の幸せを想像して幸せな気持ちになる
小田原への滞在中はちょくちょく一緒に箱根の温泉にいった。サウナと水風呂も堪能したい私は風呂が長い。さらに蚊取り線香がほのかにかおる壺湯が気持ちよくてついつい長風呂をしてしまった。たっぷり堪能した後施設を出ると外のカフェに彼は座っていた。
さすがに待たせすぎちゃったかなと思ったが、彼は「気持ちよかった?よかったね」と言ってニコニコしている。
遅くなってごめんねと伝えると
「ジュリちゃんのお風呂を待つの好きなんだ。長ければそれだけ楽しんでいるんだなあっていうことが分かるから、それを想像するとこっちも幸せな気持ちになるよ」とまた笑顔を向けた。
私が逆の立場だったら「いい加減まだ?」と怒りのメッセージを送ってしまっていたかもしれない。ないがしろにされたと思って。
相手の幸せを考えて自分も幸せな気持ちになる。そんな世にもお得な幸せの手に入れ方があったのか!
ないがしろにされたと怒るより、相手の幸せを想像して幸せに浸れるなんて、余すとこない幸せの連鎖。私にはその視点はなかった。
お湯に浸かりすぎたこともありクラクラした。