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未来の空の行方。都市集中型か地方分散型か


飛行機の体験って、日本人にとって海外旅行が一般的になった1980年代前後から、約50年間殆ど変わっていないのではないでしょうか。

それというのも数ヶ月前、飛行機の窓から朝のヨーロッパの輝く山脈を見下ろしていました。

肩身の狭いシートで若干の窮屈さと、窓の景色が分厚いガラス越しに此方に流れ込むような開放感の狭間で、自分は地球に生きているんだという認識がじんわりと湧き上がる、宙に浮いた感覚。
そういった経験、皆さんもあると思います。

その時ふと、自分の父母が飛行機に初めて乗った経験と、今僕の感じている感覚にほとんど変わりはないのだろうと感じました。

空は現在でも、人類の「聖域」であり「フロンティア」でもあるのです。
そう言った意味で、空を考えることは、人類の行末を考える上で重要なのではないでしょうか。

都会の空をめぐる抗争

都会に普段過ごしていると、ふと田舎の方行った時、空の広さに驚かされるものです。

都会の空は狭い。だからこそ、都会の空には、なんとかして聖域=空を守ろう、維持しようという力学が働いてきました。

例えば、電線。
東京都は「無電柱化」計画なるものを策定し電線を地中に埋める作業を進めているうようで、個人的に興味があり担当者に問い合わせてみました。
「進めてはいるがいつ完成するのかこちらでも目処が立っていない、申し訳ない」と謝られる結果となりました。

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出典:https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00723/

出典電柱地中化計画には根強い賛成派と反対派が存在し、反対派の言い分としては「一つの風景として馴染みがあるものを奪わないで欲しい」と言ったところでしょうか。実際、アジア圏の電線まみれの景色はヨーロッパ人には珍しいのか、写真を撮っている旅行客を見かけることもちらほら。

或いはアド・バルーン ってご存知ですか?

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出典
:http://nihonbungeisha.cocolognifty.com/khooblog/2005/11/post_905e.html

僕は1996年生まれなのですが、どう頭を捻っても、アドバルーンが空に浮かぶ景色は想像できず、百貨店・懐かしの〇〇みたいな写真展のイメージばかり思い浮かびます。規制によって姿を消してしまったようです

もっと昔まで遡れば、パリのエッフェル塔建設にモーパッサンら文化人が連名で新聞に抗議文を掲載したことが思い出されます。

            親愛なる同国人たる貴君
作家、画家、彫刻家、建築家であり、これまで無傷であったパリの美しさを熱烈に愛好する我々は、全力を込めて、心からの憤慨をもって、評価されていないフランス的趣味の名において、脅かされているフランスの芸術と歴史の名において、我々の首都のただ中における、無用にして怪物的なエッフェル塔の建立に対して抗議するためにやって来た。【……】

建築は天に届くか?

無論、聖域を守ろうとする力は、それを侵犯する力に応じて生まれるものです。
例えばこんな団体があります。

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出典:https://twitter.com/tokyo500m

僕はこの筋には詳しくないのですが、容積率と高さ制限によって、超高層ビルの建設は現在阻止されているらしい。名前の通り、超高層ビルを東京に立てることを目論んでいらっしゃる団体のようです。

統計的にもこの30年で、高層ビルは確実に急増して空を覆い尽くそうとしていることが分かります。

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出典:http://www.skyscrapercenter.com/year-in-review/2019

建築とは文明そのものであり、すなわち自然の征服でもあります。「何かを空に向かって打ち立てる」行為自体が、人間という存在を端的に表しているのです

2001年宇宙の旅に登場し、猿を人間たらしめた「モノリス」は、まさに自然に対して垂直に立ちはだかっていました。

地に打ちたれられる建築=都市とはまさに自然に対する挑戦であり、空に届かんとしていた「バベルの塔」は神の怒りに触れて破壊されしまいます。

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都市計画者は神か?を掲げた印象的な丹下健三批判の文章を読んだことがありますが、実際は現在でも高層=構想の系譜は脈々と受け継がれております。

例えば磯崎新の「空中都市」(写真上)。最近だと「city in the sky London」(写真下)なんてのものが存在したりします。

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出典
/https://inhabitat.com/city-in-the-sky-futuristic-flower-towers-soar-above-modern-metropolises/

https://inhabitat.com/city-in-the-sky-futuristic-flower-towers-soar-above-modern-metropolises/

無論都市を立体化することで得られるメリットも大きいです。
単純に考えても、地上の施設を上に積み上げていくことで、地上の有効空間を拡大することが可能です。

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平面的に広がった街を立体的にし、有効活用できる空間を増加させます。また、建物のスカイラインを整え都市景観を改善します。地上には、空中利用によりゆとりの空間を生み出します。
出典:https://www.mori.co.jp/urban_design/7method.html

未来の東京にピントを絞れば、例えば住友林業株式会社『W350計画』などの計画が存在しています。「住友林業が350周年を迎える2041年を目標に、高さ350mの木造超高層建築物を実現する研究技術開発構想」だそうで、木造建築の高層ビルは、既存のビルのイメージを大きく変えるものと想像されます。

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出典:https://sfc.jp/information/news/2018/2018-02-08.html


さて、これから空はどうなるんでしょうか?


これまで見てきたように、空を語るとは、人類のあり方を語ることと表裏一体といっても過言ではありません。
 

一方では空を征服するがごとき理性的な精神。
もう一方で、空を守ろうとする情緒的な精神。

地表から離れてビルから地上を見下ろすようになっても、都会に残された「太古のもの」である空は、僕らの奥底、始原的な部分に不思議な力を及ぼしているのでしょう。

僕自身としては、これからの日本が「都市集中型未来」を選択するか、「地方分散型未来」を選択するかで大きく変わるのではないかと考えています。

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都市集中型/地方分散型未来についてはこの本に詳しいです。


空の未来ー都市集中型の場合


都市集中型未来においては、超高層ビルそのものが、都市化しているでしょう。
つまり、1棟で基本的に街としての機能、つまり商業施設、居住空間、スーパー、オフィス等を兼ね備え、庭まで備わったものに進化していると予想されます。
黒川紀章が、ビルは平家の積み上げでしかない(=階と階に有機的な繋がりがない)と批判していましたが、現在でもその問題は解決されてないように思います。
この超高層ビルにおいては恐らく、ビル間の移動が活発になることでその問題が解決されるでしょう。
ビル間の移動には空とぶ車(こちらは2020年に実証実験予定です)が欠かせません。

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出典:http://cartivator.com/

ちなみにこちらは、デビット・マロー氏が構想した1600mの超高層ビルディングです。

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「私のユートピア構想は、都市を垂直方向に高層化することで、NYや上海などを人口の超過密地点にして、相互ネットワークを強化することから始まります。そして特定の地域の集中度を高め、それ以外はすべて自然に戻す。そうすれば、人間にとって欠かせない他人との交流と、自然との直接の触れ合いという、両方のメリットを得ることができます」(デビット・マロー)
出典:https://wired.jp/2015/02/10/next-world-10/


空の未来ー地方分散型の場合


一方、地方分散型未来における都市は、より緑化し、高層ビルの必要性も下がっているものと思われます。

地方分散が進むにつれ、エネルギーや食糧の地産地消が進み、都市が農村漁村に支えられている事実が明らかになるでしょう。

具体的には、農村の余剰な再エネが都市に供給され、サプライチェーンもマルチチャネル化する中で、都市には需要分のエネルギー・食糧が供給されるでしょう。都市は都市で、フードテック・アグリテックが発達する中で、植物工場や陸上養殖場による食糧供給が実現し、都市農業も活発化していると予想されます。

こちらの方がサステイナブルなイメージに近い未来です。

1点気になるのは、未来と医療の関係性です。

またいずれお話ししますが、医療は今後、格段に発展していき、治療から予防へという流れが一般化すると予測しています。また、シームレスな遠隔治療が可能になることで、医療の平等性はこれまで以上に高まるものと思われます。(日本は欧米と比べて格段に医療の質・平等性が担保されています。)

その一方で恐ろしいのは、今回の新型コロナのように未知の感染症の「発見」が予測されることです。
この点、都市集中型未来の方が、感染症に対して脆弱であることは想像に容易いでしょう。

まとめ

空を語ることは、人間性について考えることでした。

空を征服するがごとき建築家的な理性と、もう一方で、空を守ろうとする情緒的な精神。

導き出されるのは、2パターンの未来でした。
1つは都市集中型未来で、超高層ビルは都市化し、高層ビル間をつなぐように、ドローンや空飛ぶ車が行き来しております。所謂近未来都市のイメージに近いもの。空はこれまで以上に肩身が狭い思いをすることになるでしょう。また、感染症に対する脆弱性といかに向き合うかが問題になると予想されます。

もう1つは、地方分散型未来で、都市高層化の夢は破れ、そこに集まるはずだった人は地方に流れます。ドローンが行き来はするものの、これまで並みかそれ以上に広い空が都会に広がる未来になるでしょう。


皆さんはどちらの未来が宜しいでしょうか?

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