偶然の産物にすぎない人間を救うもの
3. 人生
3-1. 偶然の産物にすぎない人間を救うもの
学校、そして仕事にまつわることについて話してきた。この2つは、君が生きていくうえでふつう避けては通れないことだ。それらは決して悪者じゃないけれど、残念ながら良くない側面を持っている。そういうことに君が苦しめられないようにと願って、好き勝手に伝えてきた。
最後の章なので種明かしをすると、この長い手紙で君に伝えようとしたのは、君に「幸福、自由、生きる意味を自ら創造できる人間」になってもらいたいという思いからだ。
俺は、教育の目的は〇〇大学に入ってもらうためとか、〇〇会社に就職してもらうためなんかじゃないと思ってる。最後に、「人生」という大きなテーマの下で、幸福や自由、生きる意味なんかについて話をしてみたい。
人間はどうして存在しているのか?
自分はどうして生きているのか?
君もこの類の問いを抱くときがそのうちくるかもしれない。伝統的な宗教心の薄い日本という国に育ち、科学を学んだ俺にとってのこうした問いへの答えは、味気ないものだ。それは、「意味なんて存在しない」だ。この答えに無理に賛同する必要は一切ないよ。
俺の考えをいえば、生物である人間は、化学物質からなんらかの過程で生物となった「化学物質の集合体」、DNAという物質の増殖力学によって偶然生み出されたに過ぎない存在だから、本来的に存在に意味はないと思うんだ。
これじゃあつまらないし、悲しい結論だ。いわゆるニヒリズムってのに落ちてしまう。
ところが、DNAは人間に希望の光となる副産物をもたらした。意識だ。俺は神経系のある生物には意識はあると思うけど、少なくとも人間は素晴らしく豊かな意識を授かった。生存と繁殖に有利だったから生まれ発達してきたに過ぎないにしても、そんな理由はその素晴らしさにかすり傷1つつけやしない。
意識のおかげで俺や君は、「幸せだなあ」という感情を手に入れた。幸福って呼ばれてるやつだ。
俺はこの幸福が、根源的には意味のない存在である人間を救ってくれる希望なんじゃないかと思うんだ。
幸福だけが救いだというつもりはないし、幸福を人生の究極目的にすることが望ましいのかはまだちょっとわからない。
けれど少なくとも、幸福は生物である人間を救ってくれる大切なものなんじゃないかと思うんだ。そういうわけで俺は君に、「幸福を自ら創造できる人間」になってもらえたらいいなと思ってる。それが俺の教育の第1目的だ。幸福を創造するための鍵である、感謝、愛、創造について順に話していこう。