GPT-4の登場で本格化するAI時代に問われる日本の文化資産「間」と「和」の美学とは?
滅多にイベント参加する事はないのですが、日本の文化資本 x テクノロジー x 内的世界という、自分の興味を横断しそうな内容だったので、秒でポチり参加。
日本人ならではの感覚が、シンギュラリティ後の世界を豊かに生きる上で重要になると思える内容のイベントでした。
この記事では日本人として劇的に変わっていく世界とどのように関わっていけるのか?をイベントの内容を元に綴ります。
「間」とは何か?
「間」とは、”空間"や"時間"、人と人との関係などにおける微妙な調和やバランスを表す概念であり、日本人の精神性に古来より根付いている。欧米では、時間"Time"と空間”Space”を分けて考えるため、日本人的な「間」と一致する概念が存在しない。
「間」の精神性が表れているモノ・コト
禅、茶道、剣道、舞踊。これら全て、「間」が重要なエッセンスとして配合されている。この日本人独特の感性は以前から欧米からも注目されており、間の概念は、人間の原始的な感覚に訴えかける力があると感じる。禅の感性を取り入れて作られたIPhoneなどが良い例である。
また、山(ヤマ)、島(シマ)などもマが言葉に含まれている。景観や自然も、時間と空間が混ざりあった概念として日本人は捉えている。「君の名は」の様なテーマの映画を作れるのも日本人ならではなのかもしれない。
「間」を失った人間はどうなった?
欧米では、時間"Time"と空間”Space”を分けて考える。この思考様式は、産業革命や資本主義と相性がよく、社会が最適化され、物質的な成長を促した。その結果、我々人間は機械的な仕組みの歯車になり下がった。日本人もこの流れに飲まれた結果、元来備えている「間」の感覚が鈍っている。
「間」とはとても曖昧な身体的な感覚・概念であり、定量的に測ることができない。つまり、AIのような機械では感知する事が難しい。
AIにはできない?「間」で関係を捉える日本人
「空気を読む」「間が悪い」「阿吽の呼吸」など、言語だけでは分からない、独特の関係を表現するフレーズが日本語には多々ある。
表情解析などの技術は出てきているのが、時空を身体的に感じ取れる人間の「間」をテクノロジーで定量的に解析するのは難しいのでは?と感じた。個々の「間」の捉え方や感じ方も違うため、「間」は人間に残された唯一無二の感性なのかもしれない。
産業革命以降、定量的に測れない事柄は効率が悪いと嫌悪されてきた。これからは、「間」の様な定量では測れない、人間独自の身体感覚や感性の価値が見直されると感じる。
「間」と一体になる
儀式や祭りの中で行われる、舞い(舞う)は、「間」と一体になるための手段として親しまれてきた。日本人が古来からおこなってきた時空と一体化する様式。深い瞑想で現れる森羅万象との一体感とも近い身体感覚。
古来の日本人は、このような一体感を無意識に感じ取っており、それが「空気を読む」「間が悪い」といった言葉として、現代に継承されている。
原始的な人間ならではの身体感覚を呼び覚ます上で、古来から受け継がれている日本人の「間」の感性は世界に向けて発信できる、誇らしい文化遺産だと改めて感じた。今まで資本主義では邪魔な要素でしかなかった曖昧な日本人の感覚が、シンギュラリティに向かうこれからの国際社会で重要な概念になる。
「間」と「和」で元来の人間的に豊な世界を創造する
「間」を整える上で「和」も重要である。10人10色が発する「間」を感じとり、全体を「和」の力で整える。欧米で叫ばれているダイバーシティ&インクルージョンの概念が、日本人の文化的なDNAにすでに備わっている。
イベントで伊藤穰一氏が、欧米では成長しないことを悪とし、現状維持を意味するサステナビリティとの相性が悪いみたいなコメントをしていた。まさにそうだなと感じた。
「間」と「和」の概念の中では、成長は決して必要ではない。成長せずとも、すでにある資源、人、コトの循環の中で人類は豊かになれる。まさにサスティナビリティであり、これから我々が生きる上で大切な考え方である。
最後に
アメリカで生まれ育った日本人として、どういう風にこれから変化する世界と関わっていけばいいのか?と考えることが多いので、これからの振る舞いや生き方を改めて考え直せる良きイベントでした。
これからもテクノロジー x 日本文化 x 内的世界やシンギュラリティ後の世界を探究していくので、話してみたい!と思った方は是非Twitter DMでお気軽にご連絡ください。
👉 https://twitter.com/kagayakimann
最後に、この様なイベントを開いて頂きありがとうございました!&読んで頂きありがとうございました。