40歳の仕事論。 Vol.6 ~ 公平という幻想を超えて ~
以前、私の部署で「職場満足度調査」を行ったときのこと、割り振りのされていない誰の仕事ともいえない細かい仕事についての不満の意見がありました。
具体的な内容としては、
「いつも同じ人がタオルを畳んでいる」
「片付けを積極的にする人とそうじゃない人がいる」
「仕事量を公平にするために、担当制や順番性にした方がよい」
というようなことでした。
職場のスタッフは大体3種類のカテゴリーに分けることができます。
「やる人」、「気づく人」、「気づかない人」
このような意見を言う人はどちらかというと実際にやっている人というよりは、それに「気づく人」が多いです。
多くの場合、「やる人」は特に気にせずやっていることが多く、そのことについて不平や不満を持っている人はあまりいません。
「気づかない人」も悪気があるわけではありません。
誰もサボろうと思ってそうしているのではなく、ただ「気づかない」だけであることが多いのです。
そのことを踏まえて、私がスタッフにお話したことを書きたいと思います。
公平にすることが本当によいのか
職場には仕事とはいえない仕事がたくさんあります。
例えば朝来てPCの電源を入れる、電気をつける、ゴミを拾う、出しっぱなしてあるお菓子を片付ける etc・・・
あなたがそれをしていないのであれば、必ず他の誰かがそれをやっているのです。
「気づかない人」はそれに気づかなければなりません。
しかし、そうした細かい仕事を割り振りして、みんなが公平になることが本当に良いのか、考える必要があります。
人によって役割りは違うし、性格は違うし、得意なことも違います。
それによって与えられる仕事も量も変わってきます。
よって仕事はすでに公平ではありません。
では、雑務も含めて仕事を公平に振り分けるとどうなるでしょうか?
多くの人は「したくない仕事」が増えるのではないでしょうか?
例えば朝PCの電源を入れる作業を当番制にすると、朝早く出勤する必要があります。
今はAさんが一番最初に来ることが多いのでやってくれていますが、今度は公平に当番制です。
Bさんはいつも就業開始時間のギリギリにきます。
Bさんは朝早く起きるのが苦手です。
でも当番なので早くこなければなりません。
眠たい身体を無理に起こして出勤します、その日は眠くて仕事にあまり集中できませんでした。
Aさんは早起きが得意です。特に苦なく起きることができます。
そして、まだ手のかかる小さな子がおり、なるべく早く家に帰りたいと思っています。
なので、早く出勤して、なるべく朝のうちに雑務をこなしています。
朝早くきてPCの電源を入れることは押すだけなので苦でもなんでもありませんが、今度はそれが当番になり、仕事になってしまいました。
更に、ならばこれもと、業務後の点検作業も仕事になってしまいました。
早く帰りたいのに、全部仕事が終了してからの使用機器の清掃の業務が当番制になってしまったので、自分の仕事が終わっても早く帰ることができません。
Bさんは朝は遅いけど、夜はゆっくり静かに仕事ができる環境が好きです。最後に後片付けするのも苦ではありません。
朝ゆっくり出勤して、マイペースに仕事をするのが好きなんです。
これは極端な例ですが、公平に仕事を分担したことによってAさんもBさんも苦ではない仕事が奪われ、そして、できれば避けたい仕事が増えてしまいました。
これは職場環境として本当にいいのか、私たちは考えなくてはいけませんでした。
公平を好む人
「気づく」人は公平を望みました。
やっている人とやっていない人がいるのはおかしい、仕事に差があるのはおかしい。
それはある意味では「みんな一緒であるべきだ」「あの人だけ得するなんてずるい」「あの人だけ褒められるなんてずるい」
つまり「この世は公平であるべきだ」という考えが根本にあるのかもしれません。
その点については以前も書きましたとおり、残念ながら世界は「公平」ではありません。
「気づく」人は世界が公平ではないということに気づいていません。
もしくは気づきたくないのかもしれません。
同調圧力によってこうした世界を維持しようと努めますが、「公平」ではないと気づいている人はもう次のステージに行っています。
この幻想の世界から抜け出すためには、こうした細かい仕事の差が何を生み出すのか、そこを考えなくてはいけないのです。
私が公平を好まない理由
私は2つの理由から公平を好みません。
一つは、やりたくない仕事、やらされる仕事が増えることです。
子供のころ「勉強しなさい」強制されたら急にやる気がなくなった経験はだれしもあると思います。
仕事も一緒で、自分のペースで自分のやりたいときにするのが、本来は一番ベストだと思います。
しかし、仕事は他のヒトとの共同作業であることがほとんどですので、社会の一員として一定のルールに従いながら協力するのは社会人として当然のことと思います。
ただ公平や平等を重んじて行き過ぎた管理を行うことは、モチベーションを下げ、生産性も下げる結果になるのではないでしょうか。
もう一つは仕事に公平性を持ち込むことで、仕事による差がなくなり、人生のチャンスが減ってしまう可能性があることです。
ではここでいう差とは具体的には信用の差です。
やりたくない仕事をやらなくていいのは信用の貯金がある人の特権になります。
普段から信用の貯金がない人=気づけない人はやりたくない仕事もやらなければさらに信用を失うことになります。
こうした信用の差は色々な場面で出ます。
例えば信用の高いC君と信用のないD君が仕事中に携帯を見ていたとします。
信用のあるC君はそれを見ていた人には仕事の要件で急ぎの返信をしているのかな?と思われます。
信用のないD君は仕事中に携帯いじって遊んでいるのでは?と思われます。
また、仕事ついて意見するとき、例え信用のあるC君と同じことを言っていたとしてもD君の意見を素直に聞くことはできないでしょう。
それはそれぞれの間にある信用に基づく信頼の差があるからです。
つまり、信用の貯金を普段からコツコツと貯めている人は自分の好きなことがやりたいようにできる環境が整ってきます。
そこに「信用」を軸とした、お互い様という気遣いと共感、思いやりの関係ができあがるからです。
先の仕事の不公平性について普段から「やる人」が書いているのであれば、やりたくないなっと思った時点でその仕事はしなくて良いと思います。
やりたくないときはしなくて大丈夫、あなたは普段から信用を貯金しているのでやらなくても誰も文句は言いません。
しかし、ほとんどの「やる人」は「I」メッセージで動いています。
Iメッセージとは「私が」が主語になる行動のことをいいます。
私がタオルがぐちゃぐちゃになっているのが気持ち悪いから畳む。
私が部屋が汚いのが嫌だから掃除をする。
私が雑務をやって信用の貯金を貯めたいからやる。
これらはすべてIメッセージです。
それは自らの意思によってやっていることなのでそこに苦はなく、むしろ自分のためにやっていることで信用も貯まるできるので一石二鳥なのです。
信用の貯金の作り方は人それぞれだと思います。
皆が自分の得意なこと、自分の好きなことが誰かのためになり、チームのためになり信用が積み重なっていくことが理想ですが、皆がやりたくない仕事を積極的に選ぶことや自分の時間を人のため、チームために使うことも信用を高めるには良い方法だと思います。
普段の行動や言動、仕事への取り組み方、気遣い、その全てがそこにいる人達に伝わっています。
信用は貯めるの難し、失うの易しだということは忘れてはなりません。
話を戻します。
過度な公平性は向上心ある人にとってはマイナスとなります。
またやりたくない仕事を増やすことにもなります。
お互いが気持ちよく仕事をしていくには互いの信頼と共感がなければなりません。
綺麗に畳んであるタオルを見て、使うときにとても気持ちがいいです。
タオル畳んでくれた人に感謝します。
そして私の中に「やる人」の信頼が貯金されます。
そして、自分も次に使う人にそう思って貰えるように、片付ける時は綺麗にしようと思います。
私はそうやって「信用の貯金」をコツコツと貯めています。
これはずるいことなのでしょうか?
まとめ
生き方も考え方も正義観も道徳観もみんな違って、みんな良い。
同じ人はいない、だからこそ、公平な仕事というものもない。
過度な公平性は、「出る杭は打つ」思想の現れとも言えるもので、向上心ある者のモチベーションを下げることにもなる。
皆が気づかない、やりたくないと思っている仕事にこそ「信用」を貯めるチャンスが眠っている。
以上のことを私は職場で皆に話しました。
どのぐらい伝わったかはわかりません。
これがすべて正しいとも思っていません。
言うが易し、行うは難しで、実際には理想論かもしれません。
中には本当に「ずるい」人もいるでしょう。
ですが「信用の貯金」がいつ必要になるか誰にもわかりません。
私は自分が好きなことを好きなタイミングでできるように普段から準備をしています。
それには「信用の貯金」が必要だと思っています。
私がこれまで生きてきた中で出会った「信用の貯金」を多く持っている人は、新しいことを始めるとき、大変なとき、必ず助けてくれる人が周りにたくさんいます。
そういう人たちは普段から自分の利益などお構いなしに、人のために動き、人を笑顔にしています。
そして、そういう方はお金にも困ることはありません。
お金は信用そのものだから当然ですね。
グーグルは生産性の高いチームとそうでないチームの差は何か調査したところ、生産性の高いチームはお互いの思いやり気遣い、共感が高いことのみが差があったことを明らかにしています。
信頼で繋がっているからこその自由な職場なのです。
日本は風土や文化的にもまだまだこのような職場を作っていくのは難しいように思います。
ノーベル賞受賞者や0から1を生み出すような画期的なイノベーションは日本から生まれづらいと言われている理由もこのような文化が背景にあることは否めません。
雑務の公平性なんて、とても小さなことかもしれませんが、こういうところからコツコツと変えていくことが組織づくりや組織のパフォーマンスを高めるのには大切になると思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
公平と信用ついて学ぶ読書