本を読むこと。~ 父親について考えた話 ~
私が1歳になる直前、父は仕事中の事故により他界、母は再婚しなかったため、私は父親というものを知らずに、父親になりました。
幸い、母の兄、私にとっては叔父さんに当たりますが、その叔父さんがとても優しく、かっこよく、私の憧れでもあったため目指すべき男像はあったものの、ずっと一緒にいるわけではないため、本気でケンカしたり、語りあったり、そうしたことはできませんでした。
これを書いている今日は娘の誕生日です。
私が父親になって12年が経ちました。
未だに父親の正解について考える日々、葛藤する日々を送っていますが、結局のところ「正解」なんてものはなく、自分のありのまま、「正直」で在ることが大切なんだということを2冊の本が教えてくれました。
今回は私が「父親」になる過程で出会った2冊の本についてご紹介したいと思います。
「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる」
著者、幡野 広志さんはnoteでもお馴染みの写真家であり、34歳で「多発性骨髄腫」というガンを患い、余命3年の宣告を受けます。
生まれたばかりの息子に父親として何を残してあげられるのか?
病気と向き合い、家族と向き合い、自分と向き合い、彼が出した答えは「言葉」でした。
本書の「はじめに」よりの文章ですが、父親が生きていることだけが、子どもの「コンパス」、「灯台」になるわけではありません。
私の父親は何かを残したわけではありませんでしたが、母が語る「父親」の姿から、父の生き方を想像し、自分の道標になったこともあります。
今思えば、父親が居なかったことで、私は自分で自分の道をみつけ、歩むしかありませんでした。
父が示した道やレールがなかったからこそ、自分で考え、努力する必要があったのです。
今、自分が子育てする立場になって、そのことを非常に強く感じます。
目の前の子供はかわいいものです。
だからこそ子どもの失敗する姿は極力みたくないと思うのは普通のことだと思います。
しかし、ここで子どもが道を誤らないよう、失敗しないよう誘導し、安全な道ばかりを歩ませようと親がしてしまうのは、子どもの考えるきっかけを奪い、成長する機会を奪うことにもなりかねません。
この「我慢」がときに苦しいのですが、子どもが自分の考えで、答えを見つけだそうと歩み、動き出す、その時までしっかりと準備して「待つ」ことの大切さをこの一文から学びました。
本書は前向きで力強く、ユーモアのある言葉で溢れています。
それは、「病気を患って余命宣告されてる著者が書いた言葉だから」といったバイアスのせいではなく、単純に著者が、優しく(強く)ユーモアのある魅力的な人物だからだと思います。
本書に綴られた、私のお気に入りのエピソードの一部をご紹介していきたいと思います。
「子どもにつけようと思う名前を親が2,3ヶ月試しにつかってみよう」
著者は実際に息子につけようと思った名前で名刺を作り、仕事場はしばらくその名前を使用し、書いても呼ばれても特に不自由しない、仕事にも支障はなく、自分でもお気に入りになった名前をプレゼントしたそうです。
仕事柄、私も子ども達と接する機会は多いのですが、最近の子の名前は本当に読むことができません。
私も娘の名前を考えるとき、一番最初の条件として挙げたのは「一発で読める」ものでした。
親が子どもに一番最初にプレゼントするであろう名前は親のセンス(想像力)が試されます。
実際に自分で2~3ヶ月使うことは会社員だと難しいと思いますが、それぐらいの気持ちで考えることが大切なんだと思います。
もし息子が学校へ行きたくないと言ったら
学びは学校じゃなくてもできます。
経験も然り。
それを学校だけに求めるのは親の怠慢だとも言えます。
自分の価値観、ルールを周りに合わせて、苦しむぐらいならその時間を無駄にすることはありません。
どうしても「世間一般的にできること」を子どもができないと親は心配になってしまうし、「はみ出す」ことを恥ずかしいことと思ってしまいます。
しかし、親がそのような態度を取ることは「子の個性」を一番の味方である親が否定してしまうことになってしまいます。
社会的な動物であるヒトと社会は切り離すことはできません。
社会で生きるために「個性」を殺すのか、「個性」を社会に活かすのか、親としてしっかり考えていかなければならないと思います。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」は苦労を販売する側の大人がつくったキャッチコピー
著者は息子が18歳になったら100万円をあげようと計画しているそうです。
バイトして必要なお金を貯めてから行動するのではあまりにも効率が悪く、若くて失敗ができるうちに行動して多く経験して価値観の幅を広げてもらいたいとの願いからの計画です。
自分が思っているより「人生の時間」は長くはありません。
著者は「死」を身近に感じるからこそ、自分の一分一秒をより大切にして生きようとしています。
私も両親、叔父と自分の大切な人達が世間一般的な寿命に届かず亡くなったことを経験し、自分の「生」の尊さと短さについて考えるようになりました。
今回、娘の誕生日には娘が本当に欲しいと思ったものをあげることにしました。結果的に小学生の娘には分不相応な高価なものになってしまい、妻はまだ早いのではと反対しましたが、私は「今」この瞬間に経験できて、それをさせてあげられるのであれば、させてあげたいと言いました。
私も妻も娘も明日生きている保証はどこにもありません。
一人の子を持つ親として、子に伝えたいことは何か?
自分が思っているより伝えられる時間はそう長くはありません。
だからこそ、日々の生活や時間、言葉、行動を大切にしていかなければなりません。
私が残すもの
読後、彼のnoteを覗いてみると、そこには素敵な写真が言葉とともにたくさん散りばめられていました。
彼の優しさそのものを表した写真もまた息子さんの道標となるのだと思います。
私は何を残せるだろうか?
そう思ったとき、私の書斎にある本棚が頭に浮かびました。
そこに並ぶ本棚は私が伝えたいこと、私の思想そのものです。
読んだ本のすべてがそこに収まっているわけではなく、私が残しておきたいと厳選され、二度三度と読み返しながら必要なものだけが残っていきます。
まだ半分以上は空いている本棚。
これからどんな本が収まっていくのだろうか。
それを楽しみながら、私という本棚を完成させていきたいと思います。
子どもがその本棚を眺めたとき、そこに父親の姿が見えるように。
「父・横山やすし伝説」
もう一つの「父親」の本はお笑い芸人「横山やすし」について息子である俳優、木村 一八さんが書いた「父・横山やすし伝説」です。
こちらは先に書いた「幡野 広志」さんの対極にいるような父親の話です。
皆さんは芸人、「横山やすし」はご存知でしょうか?
私も世代ではないのでダウンタウンの松本さんがパロディでコントをしていて知った記憶しかありません。
「横山やすし、西川きよし」の漫才コンビは昭和漫才ブームの先頭を走っていた伝説のコンビで、本書は横山やすしさんが平成8年に51歳の若さで亡くなるまで、父としての横山やすしを包み隠さず記したノンフィクションとなっています。
本書を読むまでは割と破天荒で怖い、早口の漫才師というイメージだったのですが、破天荒の度合いがイメージより全然凄かったです。
息子と一緒に飛行機をアメリカまで買いに行くエピソードやボートで通勤するなど面白いエピソード満載でした。
また、この本の著者である長男の木村一八さんも負けじと破天荒なのですが、ウィキペディアでは書かれなかった真実がこの本に書かれてあり、
ノンフィクション作品として、それだけでも愉しめます。
本書に書かれている木村家の家族ルール(鉄拳制裁、家族を守るためには殺人も厭わない)など子育て方法、生き方は今の世の中じゃ炎上間違えなしですが、自分に正直に理不尽さも、弱さも、かっこ悪さも真っ直ぐにさらけ出せるのってある意味では羨ましくもあります。
いまの「父親」たちは、〇〇メンに代表されるように、外の影響なしに「自分に正直でいる」ことが難しい時代でもあると思います。
一見相反するような父親像の2人の本を読んだところ、そこには共通して「自分に正直」に生きるということがありました。
父親の役割を果たすのではなく、ただ自分自身をどストレートに伝える。
それを繰り返していくことで、その子の「父親」がその子の中に作られていき、そして「父」になることができるのかもしれません。
それがたとえ、みっともなくて、弱くて、かっこ悪い姿だったとしても子にはかけがいのない「正直」な父なのです。
そんな人間味溢れる正直な「父、横山やすし」に触れて、自分はまだまだ父親になれてないなぁと思ったのでした。
まとめ
父親に正解はない。
自分に正直に生きて、その背中を見せること、生き方を示すことがいつか子が必要としたときの道標となる。
父親でいれる時間は以外と短い、だからこそ日々を、今を大切にする。
生まれてきてくれてありがとう。
父親にしてくれてありがとう。
12年分の愛を込めて。
最後までお読みいただきありがとうございました。
父親について考えるための読書
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