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無いものにしない。そのままを認めていくこと。

前回は思いもしない発想という記事を書きました。

一つのことにら囚われている時は考えが拡がりません。
(いまでもよくあります😅)

ゆっくり休むことで出てくるものがあるので、休むって本当に大事です。

いまでも休むことに罪悪感を感じたりする時がありますが、休みたい時に休むことを当たり前にして良いんだなって少しずつ思えるようになってきました。

それでは本日の記事です。

不登校の自分を見せたくなくて、
いじめられていた自分を知られたくなくて、

過ごした時間を無かったものにする傾向が僕にはあります。

幼少期からさまざまな場所を転々としていたのも相まって、

「時間が経ったら関係性は切れていくもの」
「全ては一過性、続いてはいかない」

という価値観を持っていました。

そこに辛い体験が重なって、

過去↔︎現在↔︎未来

と繋がりのあるものではなくて、

過去は過去で切り取って見ないようにする自分がいます。

宮崎での過去。
鹿児島での過去。
福岡での過去。

全てぶつぎりにされています。

消したいと思うのでいまに繋がりません。
だから未来への展望もありません。

そんな捉え方をずっとしていましたし、いまも根本でそんな風に捉えているように思います。

時々、

「幼少から小中高と一緒で今も縁が続いている」

そんな人達に出会いますが、とても羨ましく思っていました。

関係性が続いていくこと、積み重なっていくことに憧れがあったんだろうと思います。

見たくなくてフタをしていたからだと思いますが、

最近きっかけがあって、

転々としていた土地で経験した出来事、付随する感情、そしていま、からの未来。

が、

繋がっていくような感覚を持つ瞬間がありました。

瞬間なのでそれが当たり前になったわけではないのですが、繋がったように捉えることが出来た時は、自分が一致したような、そのままの自分になんの違和感もないような、そんな感覚になりました。
(言葉が難しいですね😅)

ほんとの意味で無かったことにはできなくて、

不登校の自分
暴言、暴力を振るった自分
泣くに泣いた自分
屈折した自分
穿った自分
、、、etc

色んな経験をしてきた自分、色んな内面の自分をただ認めることが出来た時に、また変化があるんだろうと思っています。


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