届かない繋がらない、最低のかっぱえびせんか?
【宣伝】9/8(日)文学フリマ大阪12に来てください【緊急】
出ます。
何でもしますから来てください(何でもしますとは言ったけど僕にできることなんてたかがしれているので)
noteってもしかして届かないし繋がらない?
自己紹介してイイネが20ももらえました。
こんなに他人から褒められたのは小学生以来です。
しかし、一転、フォローが増えたわけじゃありません。0だぞ0。
背中は押してくれるけど誰も着いては来てくれない。二次会のお店を探してる時と同じです。「あそことか空いてない?」「ちょっと聞いてくる」「ありがとー」「さすが頼りなるね」のアレです。
いやお前らも店を探す義務を背負った連帯債務者なんだぞ?
口を開けて待っていても二次会はやってこないんだぞ! 心までヒナドリになるな!
マァ自分も誰もフォローしてないんで、我が振り直せというか、恥を知れ恥をみたいな話ではあるんですけど。
noteって結局、ものすげえ文才がある人が突然バズるか、そもそもある程度フォロワーがいる人間がそいつら引き連れて乗り込んでくるか、若くてかわいい女の子がプロフィールに海外行った時の写真使って、留学の話したりしないと、ハナっから拡散なんてしないしフォローもされないのですわ。
テメエのBMI見直してから出直してこい!
そんな僕に、上司はよく「徳を積むんだよ徳を」とやおら令和とは思えない勤労体系に精神論をまぶしてきます。
ウチの会社は一年目の新入社員が「仕事振ってもらうより同期と雑談してた方が残業代が増えて儲かりますよね?」というライフハックをはばからず口にしてしまう会社なので、積むべき徳がここにあるのかの判断はつきまへん。
コンサルとして、釈迦、雇ったろうか?
釈迦もさすがに一回目でぶちぎれるんとちがうか?
しかし、やはり与えないものには与えられない。
ギバーに価値は無くテイカーにならねばおぢに非ずと、頂き女子りりちゃんも言っていました。
noteを始めるのに承認欲求以外の理由がいるかい?
noteを始めてみた時の気持ちとしては「文学フリマどうこうよりとりあえず本を売りてえわ読んでほしいわ」という浅ましい宣伝根性だけ。『ナニワ金融道』の登場人物と、ほぼ同じ動機の行動です。
ところがこれ、突き詰めてみると結局「承認欲求」的なものの発露、極めて個人的な褒められ欲求の具現化に過ぎないのでは? と思い至り始めました(「「「そんな自分が悍ましい」」」)
それ否定しなくて良いじゃん? って風潮なんすけど、やっぱ作品の見えるところに「自我」が盛り込まれっちまうとそれはもうカレーなんよ。自我ってのはサ、カレー粉だから。
かと言って、じゃあ承認欲求的なモノを発露しないで、9/8(日)の文学フリマ大阪に向けて「サァいっちょお知り合いやら増やしつつ、面白そうな作品・作家さん探して、自分のサークルも宣伝しますか〜」というぺらぺらな理由だけで、noteやってていいんでしょうか。
SMAP「でもいんじゃない? でもいんじゃない?」(SMAP『ダイナマイト』より)
SMAP……
ありがとう……
僕が小説を書くワケ
一発当ててえんだよ〜。
褒められってより金がヨオ、楽しく金が欲しいんだヨオ。サラリーなマンからのオサラバに向けてのちょっとした宝くじみてえなヨオ〜。
これが本音。
寝っ転がって本を読んだり、足元に転がった犬を撫でたりして生きていきてえナァ〜。
ただ安定して物書きとして生きていくなんてなかなかできねえだろうから、まずは安定した職業でサラリーを貰いつつの、兼業作家として成り上がっていきてえナァ〜。
自分の中にある衝動を誰かに届けたいとかそういうんじゃねんだよナァ〜!
モノを書くってのはおもしれえからさ、おもしれえで儲かったらそりゃもう人生が浜松まつり(静岡県浜松市でGWに行われる祭り。町内ごとに生まれた子どもの名前をデカデカと記した凧(たこ)を上げるという、個人情報に重きを置く現代に一石を投じる「凧揚げ合戦」が名物。情報リテラシーだけさておけばここまではギリ祝い事としてわかるのだけど、合戦とある通り、この祭りでは凧同士をぶつけ合って糸を切り合うことを主な目的としている。なので凧を上げる大人たちも初子のお祝いを騙っているだけで、根本にあるのは他町内会の凧の糸を切って使い物にならなくしてやろうという暴力性である。未開の蛮族の祭りか? 僕の凧は親が見栄だけで馬鹿みたいにデカくした結果クソほど重たくなってしまい、そもそもまともに飛ばなかった上にノロマで、二つ隣の町の凧にあっさりと糸を切られて山間に飛ばされ、電線に引っかかってニュースになった過去があります。自我が芽生えるより先に市内全域に個人情報が晒されてる恐怖がお前らにわかるか?)です。
ただ、結局、繋がりだなんだっていうのは作品がモノ言うってワケですよ。モノありきです。
noteで語るな作品で語れってなもんですわ。
「いい作品だネェ!」って言ってもらったり、「いい作品だネェ!」って他の人に言って回ったりしていくうちに繋がるものであって、そこに至るまでの創作活動そのものへの向き合いを、承認欲求だなんだと言い訳して茶化したりしちゃダメってことっす。
(めちゃめちゃ厳しい人たちがふいに見せる優しさ)
じゃあ今の僕にできることってなんだろうか。
とりあえず、塩タブレット舐めながらサラリーマンとして仕事します。
(急に塩タブレットのこと話したんですけど、それについてはここ👇読んでください。別に塩タブレットを好き好んで舐めてるわけではないですし、自己紹介noteを読んでない人には前提条件が伝わっていないのに伝わらないはずの話をしてしまうとかそういう自他境界が曖昧みたいな話ではないです。自己紹介noteを読ませようという魂胆でわざわざ書いたし塩タブレットは会社に言われて仕方なく舐めたんです。会社の塩タブレット犬です)
兼業爆売れ小説家になるための宝くじとして小説書きますので、みなさん文フリ大阪12 す-23に来てください。
あと文フリの偉い人はもし僕を見つけても見逃してやってください。普段、根はいいやつなんで。
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