たけのこ掘り
たけのこ掘りというものを初めてやった。
叔父さんの家の裏山にある竹やぶに、たけのこたちが歩いたらつまづくほど生えていると聞いた。「歩いたらつまづくほどある」ということだが、もう少し下をよく見て歩けばつまづかなくて済むのではないか。「犬も歩けば棒に当たる」ということわざもあるが、犬だっていつまでも馬鹿じゃない。馬でも鹿でもなく、犬である。なんの話だこれは。いや、叔父さんの話はあくまで例えである。
さて、現場に行くと、いたるところにたけのこが生えているのを目の当たりにした。叔父さんが言っていたことがここに来てようやく理解ができた。やはり、百聞は一見にしかず。昔の人の格言というのは、理にかなっているものが多い。
叔父さんの見よう見まねで、たけのこの周りの土を少し掘り起こし、たけのこの土に埋まっていた部分をできる限り見えるようにした。これは、くわをたけのこに入れる前の下準備のようなものである。
そして、いざ、くわを振り下ろす。できる限り下の方からたけのこを削り取る。何度かくわを入れて、ようやくたけのこがポキリと折れた。
削り取ったたけのこの下の部分に赤色の斑点が見えていれば合格点とのことで、それが見えなければやり方に改善の余地があるそうだ。何度目かのトライでなんとか斑点のある立派なたけのこをとることができた。
少し動いただけだったけれど、マスクをしていたのと、アディダスの冬用ジャージを着ていたことにより、今年1番と言っていいくらい汗をかいていた。なぜ雨上がりのいい天気に、冬用ジャージを着ていったのかわからないが、案の定、汗が噴出したのは紛れもない事実だった。
さて、たくさんいただいたたけのこを家に持ち帰り、食べる前の下ごしらえをした。たけのこを包丁で2頭分にしていく。二等分にしたたけのこの皮をはぎ、中から出てきた身の部分をお湯と米ぬかでゆでる。大量にもらったたけのこだったので、2回にわけてそれぞれ2時間以上しっかりとゆでた。これにより、たけのこのアク抜きが仕上がったのだ。
ここからはどんな料理にしてもいい。たけのこごはんでも、たけのこ煮でも、たけのこの刺身でも、食べたいように食べればいいのだ。
自然に触れて、汗をかいてじぶんの手で採取し、その自然の恵みをちゃんといただくことができるように手間暇をかけてこしらえていく。それは生きるという営みのど真ん中のような感覚があった。そんなふうに、えらそうに言えるほど、たいしたことをしたわけじゃない。端的に言えば、山でくわを振り回し、汗をかいただけである。けれど、たまにはこういうことをしたいという気持ちが自分の中に小さく湧いたことに気がついた。
じぶんたちの食べるものに関わる時間を、少しずつでいいからつくっていきたいと思ったのだ。