ふとす

□新しいドラマ、読みたかった本、気になる映画、惹かれる音楽。それらをかじりながら暮らす生活は楽しい。 だけど、毎日同じことを続けることで広がる「せかい」を歩くことは、きっとそれ以上に楽しい。 そう信じて、今日も好きなことを書く。

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□新しいドラマ、読みたかった本、気になる映画、惹かれる音楽。それらをかじりながら暮らす生活は楽しい。 だけど、毎日同じことを続けることで広がる「せかい」を歩くことは、きっとそれ以上に楽しい。 そう信じて、今日も好きなことを書く。

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最近の記事

左手と右手

 おもしろいことに、左手と右手を丁寧に合わせてみると、ほんの少し右手のほうが大きい。わずか数ミリの差だけれど、左と右では大きさが違うことを知ったのは、しばらく前のことだけれど、それから時々思い出しては手を合わせて確かめてみる。相変わらず右手のほうが少し大きい。大きいのか指が長いのか、おそらく右手の指が長い気がする。  僕の右手の指はもともと長かったのか、それとも長くなったのか。考えられることとして、後天的な理由だとすれば、右手で書いているからだと真っ先に思い浮かぶ。もともとは

    • 信じる気持ちだけで

      「三日坊主」という言葉をぼんやりと思ふ。「坊主」とはなんなのだろう。調べてみると、「僧の修行の厳しさから生まれた言葉」だとあった。 僧が修行をすると、毎日の日課で忙しいうえに食事は質素で厳しい。 出家した僧でも修行の厳しさに耐え切れず、三日過ぎれば還俗、つまり俗人に戻ってしまう人を指して「三日坊主」と言われたらしい。つまり、なにかに挑戦するというのは僧でいう修行のようなものなのだ。ダイエットも禁煙も筋トレも勉強も、踏み出すことはそれだけですごいことなのだ。そう言い聞かせてじぶ

      • 今を楽しむことを続ける

        いつかやりたいことがある。ぼくはそれを時折ぼんやりと考えたりする。けれど、そのために今なにをしているかについては見て見ぬ振りをすることが多い。「明日またやろう」と切り替えることをポジティブなのだと考えたりする。ポジティブな気持ちもきっと大事で、「明日またやろう」という日があってもいいと思うが、そのままの自分でいつかやりたいと思っていることが近づく気はしない。つまり、自分の行動なくして夢だとか目標だとか自由だとかにたどり着くことはなさそうである。けれど、それはそれで生きている限

        • 毎日同じことを続ける自分を鼓舞するための僕なりの考えについて

           書くという行為も、筋トレと同じく日々の積み重ねで成長していくと仮定すると、書かなければ書くことは上達せず、よりよい「書く」を求めるのであれば書く以外に道はない。  けれど、「続けることはむずかしい」ということをぼくはこれまでの自分を通じて知っている。もちろん「ただ書けばいい」というわけでもない。自分なりに「よく書けた」と思えるものを、できる限り毎日書き続ける。その過程で少しずつ書く筋肉がついていき、気がつけば今までの自分よりも軽く、心地よく書くことができる日を迎える。  し

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        • WEEKS
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        記事

          スクラップブック

          しばらく新聞を購読してきてどうよと自分に問うてみる。 「んー、いろいろな意見や情報に触れられておもしろい」 その回答がおもしろくない。 いや、そのとおりなのだけれど、そこから何かしらじぶんの力にしていきたいという欲がやはりある。そもそもじぶんのレベルアップを目的とした購読なのだから、それをどうにか形とか結果に表わしていきたいと思うこのごろである。 そこで思い立ったのが、「いいと思う記事をスクラップする」だ。何か心に響いた記事を切り抜きスクラップブックに貼り付けてゆく。その記

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          ぼくがぼくにしてあげられること

          書きたいことを書けばいいのだ。 自分が書きたいことを書く以外に、誰もぼくの書きたいことを書ける人などいない。なぜなら物理的に不可能だし、だれもそんなことをしたいとは思わない。 まずは、じぶんが書きたいと思うことを書く。そこからすべてが始まるのだ。  自分自身が信じる道を生きる。それは自分にしかできないことである。そんなことはとても当たり前のことだけれど、言葉にすると初めて考えさせられる。だれかに言われたとおりにやってみて、その結果がうまくいかなかったとしても、その選択をした自

          ぼくがぼくにしてあげられること

          なんて言ってる間に。

          こんなにも早く梅雨に入るんだと驚いた。6月のイメージだったからか、勝手な思い込みを持っていたが、5月に梅雨に入る年もこれまでにはあったと聞く。そんなものなのか思いながら、これから始まる雨をちょっとうとましく思ってしまう。 日傘を買おうと思っていた。最近は駅から会社まで歩いているため、これから日差しが強くなってくるから大変だと対策を考えていた矢先だった。だったら、急な雨にも対応できるように晴雨兼用の傘にしようと思ったのである。しかし、それを買う前に梅雨に入ったため、今日からは大

          なんて言ってる間に。

          世界はまだまだ広いと感じた日。

          仕事中にコンビニで一休みをする。お昼ごはんは家から持ってきたおにぎりだ。水を買おうとお店へ向かうと、出入り口に大きなおにぎりのような男性が立っていた。久々に見るレベルで大柄な男性のシルエットが、ぼくに「ばくだんおにぎり」を連想させた。「シャケなのか、昆布なのか、あるいはからあげなのか」とこちらが具材の妄想をしていると、その男性はちらっと後ろに停めてある黒いSUVを一瞥した。なるほど、この車でここまでやってきたんだと私は思った。それにしても、この体格からしたら少し車が小さいので

          世界はまだまだ広いと感じた日。

          2021年の桜

          2021年3月、今年も昨年から続くコロナ禍により、感染対策を徹底した卒業式を学生は迎えた。歌を歌うこともなく、写真撮影もマスク姿だったのだろう。気にも留めてなかった「当たり前」が至るところに実は転がっていて、そのほとんどが「ダメなんだ」という現実を受け入れることのないまま時間に流されているような日々が続く。ウイルスというものが、これほどまでに人と人を切り離すのだと感じる一方、離れているからこそ、人は人を求めるのだと感じた。  学校の卒業式を始めとする様々な行事は延期や中止、

          2021年の桜

          一番古い記憶

          一番古い記憶はなにか。そんなことを考えては思い出そうとしてみる。すると、やはり父方の祖父の記憶にたどり着く。「やはり」というのは、これまでも何回か試したことがあったのだけれど、やっぱりこれ以上古い記憶にたどり着かないのだ。 家族や親戚が集まる席で祖父が自分を抱いてくれている。オレンジ色の明かりの下、みんな食事をしているのか、お酒を飲んでいるのか。なぜか祖父は雪見だいふくを食べさせようとしてくる。しかし、それをぼくは拒否する。食べたくなかったわけじゃないが、虫の居所が悪かったよ

          一番古い記憶

          にしている男

          朝食について書く。基本はパン食だ。トーストをすることのほうが多いが、生食パンを買ったらまずは焼かずに食べる派だ。派というかまぁそうするだろう。  ヨーグルトも必ず食べる。キウイをカットし、バナナをカットしヨーグルトを適量かけ、最後にリンゴ酢とはちみつに漬けてあるレーズンを何粒か載せて完成だ。バナナキウイ酢レーズンヨーグルトだ。これがあるだけでもなんかおしゃれな朝ごはんをしているような感覚があった。最初の3日間くらいはあった。  あとは、白湯を必ず飲む。身体にいいからという理由

          にしている男

          気分がいい自分

          ぼくのゴールデンウィークは今日からである。1日ということもあり、参拝へ行く。この前に立ち読みした本に掲載されていた参拝の仕方を思い出す。どこの誰かを言わねば神様にもわからない。そんなわけでまずは名前と住所を告げる。そして、参拝させていただくことにまずは感謝する。そして願い事を一つだけ伝える。2つではなく、1つらしい。そして、祝詞を唱える。「はらいたまえ きよめたまえ かむながら まもりたまえ さきわえたまえ」だそうだ。「はらいたまえ きよめたまえ」だけでもいいそうだ。  そん

          気分がいい自分

          ありがとうの気持ちで

          我が家は麻婆豆腐をよく食べる。手軽に作れるというのもそうだが、ぼくが「食べたい」と思うことが以前よりも増えたのだ。食べたいものを聞かれたときに、半分冗談、半分真面目な気持ちで麻婆豆腐と答えていたのだけれど、食べてゆくにつれ、いつ食べても変わらずおいしいその姿勢に日増しに感動を覚えていったわけである。とろみがあり、少しの辛味もあり、ごはんにもよく合う。おかげで、いつ食べても、何度食べても飽きない食卓のおかずとして、ぼくの中では首位を誇っているのだ。 こんな時期だからこそ、一緒に

          ありがとうの気持ちで

          君の瞳が問いかけている

          Netflixで『君の瞳が問いかけている』を観た。 過去に事件を犯した元キックボクサー選手の青年と車の事故によって視力を失いつつある女性が出会い、互いに惹かれ合っていく。青年は彼女がまだ視力を取り戻せることを知り、覚悟を決めて行動するのだが、そこからラストへのストーリーでぼくはずっと泣いていた。  横浜流星と吉高由里子の演技が素晴らしかった。お互いに気持ちの変化や揺れを丁寧に表現していると感じた。そして、脚本も大きな違和感なく物語に没頭させてくれた。などと書いてみたもののぼく

          君の瞳が問いかけている

          簡単が故に簡単

          「今日ぐらいはいいだろう」 そんな言葉がよぎるときがある。継続を相手にしたとき、日々の突発的なできごとは必ず邪魔をしてくる。「続ければいいというものか」と聞かれれば、きっとそんなことはないと思うのだけれど、「続けることさえできずに一体何ができるのか」と考えてしまう。たとえおもしろくなくとも、だれが見てなくとも、たったひとり、自分の満足だったとしても、続けることから始めるというスタイルもあるのだと思う。それがなかなかむつかしい。なかなかできるもんじゃない。めちゃくちゃ簡単そうに

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          つくることを続ける人

          一生のうちに読める本は限られている。そんなことを意識することなく、人は気になる本や好きな本を読む。映画も、マンガも、演劇も、詩も、あらゆるものとの出会いは、未来からの逆算ではなく、「今」この瞬間のものだと感じる。  それでも読みたい本や観たい映画というものはあって、そのときどきで思い出すものだから、何かにメモったりしておかなければ出会うことなく終わってしまうと、今になって考えたりしていた。  たくさんの表現のなかで、「出会えてよかった」と思えるものがどれだけあっただろうか。も

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