いざやめるとなったら賑わうのに、活動中は来ない人たちがいることについて。
⚠️この記事には一部の方(やめることになって初めて賑わうという体験をされたご本人、またその関係者や友人の方々)にとってかなりキツく感じられる可能性のある表現が含まれます。許容不能な考えを見ても怒ったり落ち込んだりしすぎず、また、反射的な非難を行わないようご自身をコントロールできるような精神的余裕のある方のみご閲覧ください。
上の警告文を読んで嫌な予感がした方は、ここまでで閲覧をおやめください。ご期待に添えず申し訳ありません。記事を開いてくださり、ありがとうございました。どうか、ご自分の心を大事に守ってあげてください。
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「やめるって決まってから
初めて来て/応援してくれた人たちが
ふだんから来て/応援してくれれば
やめずに済んだのに」
みたいな意見がありますけれど
それはちょっと違うのでは? と
私は思ったりします。
みんなの中で
「ずっと活動を続けていて
いつでも見に行ける
Aさん/A店」は
優先順位が低く
「今回限りで
活動をやめてしまう
Aさん/A店」は
優先順位が高かった
ということでは
ないかと思うんです。
やめる時だけ
来てくれた人が
ちょっとやる気を出したら
ふだんからAさん/A店に
付いてきてくれる人だったのか?
といったら
全くそうではない
気がするんですよね。
「やめる」と言ったら
惜しんでもらえるくらいの
力はあったけれど
やり続ける中で
付いてきてもらえるほどの
力はなかった。
そういうことなのでは
ないでしょうか。
なので単純に
「活動し続けるだけ」で
人を惹きつけるだけの
実力・魅力が足りなかったと
言いますか
酷い言いかたかも
しれませんけれど
やめるべくしてやめた
という感じなのでしょうね。
そのまま続けていても
永遠に優先順位の低いまま
だったでしょうから。
まあ たしかに
それが100%すべて
というわけではなく
ちょっと勇気を出したら
来て/応援してくれる人が
数人だけは
いたのかもしれませんし
その数人だけでもいたら
もう少し続けて
様子を見れたのかも
しれませんし
だから
いざやめるとなったら
そういう人に
「なんで」
「元から来て/応援してくれたら
よかったのに」
と強く思ってしまうのは
わかるんですけれど
でもそれは
「やめる」となってから
来てくれた人のうち
一体何%だけ
なんでしょうね.……?
とは
思いますね。