少年時代(夏)


まだコンビニエンスストアに「成人向け雑誌」の名の下、堂々とエロ本が売られていた時代の話である。一通り乳歯も抜け落ちて、何もする事がない夏の昼下がりは長過ぎるから、公園に行っていた。気温が毎日のように三十度を超えるようになってしまった今時分では考えられない話だが、その頃の沿岸部の町は涼しかった。プールの授業で全身が震え、唇が紫色になる児童が多数いたような気候だった。

公園では大抵「常連」の誰かしかが遊んでいて、そこに行けば何かが起きていた。事件を起こしたいガキと事件を期待するガキしかいない公園に、私もその一員として足を運んだ。小学校の校門を出ると、児童は東西に別れて帰る。私がその日だらだらと向かったのは、学区の東側に位置するトンネル公園(通称・トン公)だった。丁度、自宅からトン公の道程の半分ほどの位置に駄菓子屋がある。ここでは味の薄っっっいチューチューアイスが一本10円のバラ売りで販売されており、店先のボロボロの簾と共に誠に微かな爽気を放っていた。私はよくこの何味かも分からぬ褪色したチューチューアイスを求めた。例に漏れず、今日もそれを咥え、まただらだらと歩き出した。

公園はいつも通りの賑わい。日焼のため、自分も含め全員黒くなっている。その黒ずんだ集団が意味も無く公園に集まる様は、殆ど日雇い労働を求める浮浪者の群のようだった。尤も彼らは義務としての労働を免除されている年頃(ギャング・エイジ)だったので、職務質問や通報の憂き目には遭わなかったようである。そうこうしているうちに、役者は揃ってしまった。

「おう」
「うーっす」
「イグか」
「うん」

トン公を出て更に東へ行けば、川縁の道に出る。この道を南下すると川水が海に注ぐのを見られるのだが、それは学区外へ出る行為であり、少年期の私の足では、到底門限の五時に帰られる距離でなかったから(だからこそ中学で『トロッコ』を読んだ時に良平の感情が理解できた)、遂に見ぬまま卒業した。海風が吹いて来る緑の道を私たちは歩いた。軈て橋が見え、その袂の日陰に憩った。夏の陽射しに照らされた屋外は何もかもが白っぽく見える。自販機で買った「さらっとしぼったオレンジ」を飲んでいたら、一人がダンボール箱を発見した。

「何あれ?」
「見てみるか」
「捨て犬、捨て犬」
「猫かもよ」

恐る恐る近づくと、古雑誌の束が詰まっている。私が躊躇なく一冊引くと、エロ本だった。パラパラと乾いたページの音に靡く、全裸の女性の姿。一瞬間、全員は沈黙した。我々は黙祷の時より深く押し黙り、風も水も止めさせた。もちろん、時間も一時的に停止した。後にも先にも静寂(しじま)という語に相応しい状況に遭遇したのは、この一度切りである。次に時間が流れ出した時、全員は破顔していた。

それからやや時が経って、私の陰毛が生え揃う頃、インターネットが著しく普及した。私はwii Uを利用して女性の全裸を観る事に成功する。現在のような厳しい規制が敷かれる前の、往時のYouTubeをご存知の方なら、かなりエロティックな動画を年齢確認無しに視聴できたのをご存知かと思う。Pornhubも大規模な動画削除を敢行する前の豊かな時代で、著作権侵害に対する懲罰も緩かったのか、相当な数の違法アップロード作品が軒を連ねていた(なお、成人をしてからはプロに対する敬意を表するため、必ずFANZAで購入して視聴している)。

しかし冷房の効いた快適な室内で観る裸はつまらない。私はときどきあの夏の日の事を思い出す。女性の裸を見る事すら冒険活劇たり得た、娯楽の少ない遠い昔の出来事である。

#夏の思い出

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