テンプル騎士団とは:十字軍・フリーメーソンとの違い
テンプル騎士団の概要
テンプル騎士団は、12世紀初頭にフランスの9人のキリスト教徒騎士によって設立された軍事的宗教団体です。彼らの使命は、イスラム教徒からの脅威にさらされているパレスチナのキリスト教徒とエルサレムへの巡礼者を保護することでした。
この団体は、宗教的な調和を目指す高尚な理想を持つ人々によって形成されており、同時に哲学的思想を核とし、国際的な金融ネットワークを築き上げて莫大な富を集積した実務派でもありました。しかし、フランス王の計略と異端への疑いにより、団長ジャック・ド・モレーをはじめ多くの団員が火刑に処され、1311年に団体の活動は停止しました。
十字軍の結成とその背後の目的
約1000年前、11世紀末にローマ教皇ウルバヌス2世は、イスラム教徒によるパレスチナ占拠とキリスト教徒の迫害、エルサレムの聖地への冒涜に対抗するため、教会会議で訴えを上げました。
歴史家たちは、これが事実とは異なり、イスラム教徒がキリスト教徒に寛容であり、双方が平和共存していたと指摘します。教皇の真の動機は、教会の影響力拡大と経済的利益かもしれません。
この訴えにより十字軍が結成され、多くの人々がエルサレムに向けて進軍しましたが、彼らは途中で略奪や殺人を行うなど、罪に対する免責を信じていました。このような遠征は13世紀末まで続きました。
十字軍批判とテンプル騎士団の創設
十字軍初期からフランスの騎士達が虐殺行為を批判し、1118年には9人の騎士がテンプル騎士団を創設しました。彼らの主な目的はパレスチナのキリスト教徒保護であり、イスラム教徒の排除やユダヤ教・イスラム教の施設を守ることにも注力しました。団体名は、本部が置かれた古代ソロモン神殿の近くにちなんで名付けられました。
テンプル騎士団はその勇気と貴族精神で名声を博し、教会の公認を受け、多くの志願者を引き寄せ、国際的な大組織へと発展しました。
テンプル騎士団と十字軍の区別
テンプル騎士団は十字軍と異なり、キリスト教徒ながらもイスラム教徒への理解を深め、彼らとの対話にも積極的でした。十字軍の遠征は、教皇の呼びかけに応じた多国籍の軍勢が参加する一時的なものであるのに対し、テンプル騎士団は組織として恒常的な存在でした。
テンプル騎士団はまた、中世ヨーロッパにおける最初の銀行システムを築き、寄付金や富の管理、貸し付け業務などで重要な役割を果たしました。これにより、彼らは経済的な力も持ち、時には王族や貴族から恐れられる存在となったのです。
テンプル騎士団の没落とフランス王の陰謀
多くの場面で、革新的な思考を持つ集団は権力者たちから恐れられ、憎まれることが歴史上頻繁に見受けられます。
テンプル騎士団は、異宗教への寛容さや多文化に対する理解においても先進的でしたが、そのすべてではありません。彼らは歴史上初の国際的な銀行システムを創設し、絶大な富を築き上げました。
当時のフランスでは、国の財政が危機に瀕していたため、フィリップ4世は彼らの財産を狙い、ローマ教皇を利用して騎士団の財を奪う決意を固めます。彼の計画により、テンプル騎士団は異端と糾弾され、指導者ジャック・ド・モレーや多くのメンバーは異端審問を経て火刑に処され、騎士団は1311年に解体されました。
不吉な「金曜日の13日」が起源とされるのは、1307年10月13日、彼らが大量逮捕された事件に由来するという説があります。
フリーメイソンとの繋がり
テンプル騎士団は、優秀な建築職人や鍛冶屋など、様々な技術を持つ職人たちを集めていました。裁判後に生き残った騎士団員の中には、後に「職人組合」として知られるギルドに加わった者もいました。これらのギルドは中世ヨーロッパにおいて、商人や職人の団体として古くから存在していました。
フリーメイソンは18世紀初頭に形成された国際的な団体で、元をたどれば中世のメイソンギルドに起源を持つとされ、テンプル騎士団との関連が指摘されることがあります。
バラ十字会との関連性
テンプル騎士団は錬金術、数秘術、象徴学などに深い関心を寄せていました。これらは、中世から近世にかけてバラ十字会が重視した研究分野と一致します。バラ十字会と騎士団の象徴的な交流があったことを示す証拠も存在しています。
社会学者フレデリック・ルノアは、古代からの秘伝哲学の知識が騎士団を介してバラ十字会へと伝わったと語っています。バラ十字会の用語や儀式には、テンプル騎士団の影響が色濃く残っています。
ドイツの文豪ゲーテの作品「メールヒェン」は、バラ十字団の宣言書に触発されたとされ、ルドルフ・シュタイナーはこれをテンプル騎士団の理念を象徴するものと見なしています。
シオン修道会
シオン修道会は、テンプル騎士団と密接な関係があったとされる組織です。その起源は、テンプル騎士団がまだ強力だった時代、シオンの聖母と称される修道院にまで遡ると言われています。
伝説や一部の説によると、シオン修道会はフランス王家の出資を受け、騎士団の精神的遺産を受け継ぐ秘密結社として存続したとされます。しかし、この修道会の実在や活動については、歴史的な証拠が乏しく、憶測に富む部分も多いです。
以上のように、テンプル騎士団の歴史と伝承は、多くの秘密結社や伝統に影響を及ぼしてきたことがうかがえます。現在でも彼らの思想や伝説は、様々な団体や文化の中で息づいているのです。